「嫌い」「嫌い」を続けると

昨日の話に関連して、思い出したこと。

自分のことを「イヤだ」「許せない」「嫌い」だと思い続けるとき、その感情は繰り返される。

私自身がまさにその穴に落ち込んていたときは、それを自分に「刷り込んでいた」ような気がする。

自分を“わざわざ”そこに閉じ込め続けていたのだ。

日本では言霊(ことだま)と言われたりもするけど、要は「思い込みの強化」をする練習と同じであるように感じる。

ある意味、それ以外のことを思わないよう、自分で自分を固定し続けていたのだと。

そんなこと言ったって! と思われる人もいるだろう。

そこから抜け出せないから、苦しいんじゃないか、と。

たしかに、そうした気持ちが続くのが「脳の誤作動」であることがわかったところで、

湧き上がる感情をセーブする、抑え込むことは難しいと思う。

とことん思いこんで、飽きるまでやってみようとしたって、趣味ではないのだから、飽きる、という限界点もない。

「~してはいけない」とセーブする、抑え込む、という考え方自体が、違うのだ、たぶん。

それは単なるブレーキであり、アクセルを勝手に踏む自分をひたすら「止めよう」と力むことである。

以前、心理学系の本で読んだのだと思うが、「ロミオとジュリエット」は、

「周囲も自分たちも、本当はダメだと思い込んでいる」からこそ、逆に抑えきれなくなった。

感情にブレーキをかけると、かえってそれが燃料になって、より強く燃え上がってしまうことがあるのだ。

では、どうすればいいのか。

そんな自分がいることを、ただ単純に認める、のである。「ああ、今、そんな気持ちになっているなあ」と。

それを「許せない」と思うからこそ、ブレーキになってしまう。

好きとか嫌いとかいう感情に正解も不正解もない。間違っているかどうか、正しいかどうか、でもない。

たまたま、そう思うのは本当は嫌だなあ、という自分がいて、でも、思っちゃう自分もまあ、いるのだわ、と。

ただ、それだけでいいのだ。

不思議なことに、そうやって「外から見る」ように、自分のマイナス感情を認めてあげると、

だんだん、こだわらなくてもよくなってくる。

私は昨日、「人を苦手だとか感じる自分自身がもう、自分で面倒」ということを書いた。

たぶんその気持ちも、今日の延長上にある話。

「イヤだ」とか「嫌いだ」と思う気持ちは、別に、あったとしても構わなくて、

ただもう、そのことに自分が「こだわってしまう」ことが、面倒くさいのだ。

人に対して感じる気持ちを、解決しようとか、避けようとか、そんなことも、

必死で考える必要、本当はないんじゃない? と。

「そうなんだなあ」と、思えるようになれば。「そう感じる自分」はいて、

でもそれを「悪いこと」とも「いいこと」とも思わず、自分が正しくて相手が間違っている」とかも関係なくて、

私は今、たまたまそう感じる。でも相手の問題は相手の問題、と、思えれば。

つまり否定を感じる相手が「他人」だろうと「自分」だろうと、どちらでも一緒なのだろうと思える。

そんな自分は未熟、そんな暗い自分はイヤ、と否定したら、結局また「自分はダメ」の上塗りになる。

気持ちが痛んでいる今は、どうせ脳の誤作動なのだ。脳みそがミスして、自分を追い詰めているのだ。

気持ちって、そこまで身体に影響するんだ、ある意味、すごい話だなあ、と思えたりしないだろうか。

自分を嫌いな自分、他人を憎む自分は、別に「いても構わなくて」、今はたまたま、そう感じているのだということ。

それは一生続くとか、放っておいたら増幅するとか、そんなことまで

「今の段階で想像、あるいは規定する」必要もない。

先のことなんて、誰にもわからない。

今はそんな自分もいるけれど、まあ、きっとまた、そのうち別のいい面も、自分で認められるようになる、

と思っていればいいのだ。

そんな楽観主義的な、いい加減な! と感じる人には

そんな悲観主義な! 固定観念的な! と尋ね返したい。

どうせ放っておいてもあなたは真面目だし、きちんとものごとを解決しようとするし、責任感もある。

だからこそ自分を責めて、鬱という病にまで達しているのだ。

そのきっかけが他人や仕事など「他のもの」のせいであっても、結局は自分を責めている。

他の人を「憎む」自分自身を嫌いだと思えるのだから、本当に「適当すぎる」人にはならない。大丈夫なのだ。

そんな自分がいる、と、遠くから見つめられるようになるには、時間がかかるかもしれない。

一気に客観視できて一気に楽になる、というのは難しいと思うけど、自分を否定し続け、

追い詰め続けなくても、そういう「脱出方法」もまたひとつ、あることを知っておいてもらえたらと思う。

もちろん私も、まだまだその練習中だ。だからこそ、実感を持って言えるのだけれど、

思っていた以上に、徐々に、生きるのが楽にはなっていってる。それは確かだ。

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