何かの原因によって鬱になった人がほぼ全員、感じるのが、罪悪感である。
過去の自分の行動に対して。
今、動けないことに対して。
これから先もしばらく、何もできそうもないことに対して。
家族、同僚、友人、場合によっては親族や自分の師、顧客など、
日頃、関わっているこれらの人に対して「ごめんなさい」と感じることが多いと思う。
病気になってごめんなさい。
これは、風邪や骨折などもそう思う。誰でもそう思う。
普段の自分が果たしていた「役割」ができなくなったり、誰かの補助を必要としたりするから。
誰だって本当は健康でいたいし、迷惑をかけたくない、と思うはずだ。
だが、鬱になると、これがなんだか「別物」扱いになってしまう。
すべて、自己否定につながるのだ。
まるで周囲で起こる出来事、何もかも全部が自分のせいであるというくらい、ひどく落ち込む。
こういうときに限って、たとえば悩み相談などの投稿サイトに行って、
同じように悩んでいる人を探してみたくなったり、
場合によっては正義感にかられて怒りたくなったりする。
義憤、というヤツである。
それによって少しでも、自分のことを正当化したいのか? なんて、
私は自問自答もしつつ、2ちゃんねるを読んだり、読売新聞の「大手小町」にはまったりしていた。
人の暗部を、覗きたかったのだろうか。
自分だけではないと、思いたかったのだろうか。
本当のところは自分でもよくわからない。ただ、何か、憂さ晴らしのような感覚はあったように思う。
しかもそうやって何時間もサイトをうろうろした挙げ句に、
あとから「ムダに時間を過ごした」ような気分になって、よけいに自分を責めてみたり……。
ホント、何をやってるんだか、という感じだった。
ただ、この行動については以前、心理カウンセラーの衛藤先生が
「人は義憤にかられると、心理学用語でいうところの
『お助けゲーム』を展開してしまう」ということをブログに書かれていた。
→日本メンタルヘルス協会:衛藤信之のつぶやき
「黙考の中で•…」 2011-03-13
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つまり私も、少しでも何か、役に立ちたいがゆえの行動……という面も、あったのかもしれない。
いずれにしても……ね。
今になって思う。「病気なんだから、もっと開き直っていれば良かった」と。
心の病気は、確かに風邪より治りにくい。いつ治るかなんて予測も立たない。
しかも気分は毎日最悪だ。ホント、良くなるなんて、ちょっと想像がつかない。
別に熱もあるわけじゃないし、身体は動くはず、怠けてるだけだ、なんて感覚も生じてくる。
それでもさ。
身体と心が密接に関係している以上、あなたの身体も、確かに「弱って」いるのだ。
何かが、狂っているはず。心の不調は、身体のどこかに表れてくる。少なくとも脳は働きがおかしい。
であれば、もうまさしく「病気」なんだよ。
風邪を引いたら、あきらめておとなしく寝てるよね? 熱がなくなった瞬間に動き出したりしないし、
症状がなくなるまでは、何かと用心するよね?
それはまさしく「仕方ない」というあきらめ、そして割り切りがあるからこそ、できること。
鬱だって、本当は同じなのだ。
割り切っていいのだ。
なんとか会社や学校に行けちゃったり、家事をこなしたりはできるから、開き直れなくなる。
それはとてもよくわかるのだけど、もっとしっかり自分の状態を自分で「認識」してあげないと、
それこそ気持ちは、いつまでたっても前向きになれない。
何か、原因があって、その病気になったのだ。
たとえばその何かが「過去」のものであれば、時間をかけて記憶を風化させる、というやり方で
時間はかかるけれども、少しずつ立ち直ることはできる。
逆にそれをずっと何度も思い出し、味わい続けていると、いつまでたっても風化させられない。
憎い人は憎いままだし、ダメな自分はずっとダメなままだ。
抱え込んで再生を続ける限り、その気持ちは続くだろう。
事実はただ、「そういうことがありました」である。
取り戻しもできないが、そのシーン、そのときのその事態に、二度と逆戻りすることもない。
実際には、過去の一通過点、なのである。
自分が罪悪感を持ち続けることは、そうしたことを「再生し続ける」ということにもなる。
持ち始めた原点が「過去の出来事」だから。
つねに、そこへ戻って行ってしまう。
はい、もう、いいんです。
あなたは今、実際に病気にかかった人なんです。
風邪を引いたときのことを延々、悔やんだりしないように、
治す方向へ、気持ちを向けていこう。
それはとりもなおさず、自分が「未来」を向くということにも、つながるのだ。
サイトをうろうろしたって、自分は弱いんじゃなく、人の役に立ちたいんだな、と思えばいいし、
ゲームやDVDにはまったり、不眠になったり、昼夜逆転したりしても、
休む、というところから考えれば、よい気分転換である。
起きていられるのなら、お腹は空くだろうから、別に夜中に何か食べたっていい。
性格が原因だろうが何だろうが、今は病気なんだから、もっと自由でいい。
自分を責めているなら、それより先にもっと自分に優しくしてあげて、構わないのである。