もし、今の自分の状態を、過去の、壊れていなかった自分が見たら。
「なんてふがいない」と、がっかりするだろうか。
「そんなクヨクヨして落ち込んでたってたって、何も変わらないでしょ!」 と怒るだろうか。
あるいは「どうせ昔からダメだったし、やっぱり今もダメなんだな」と、ため息をつくだろうか。
いずれにせよ、今、あなたはどこかで、「ダメな自分」を責めているし、嫌っている。
当たり前である。
思うように身体も動かせないし、悪いことばかりが起こったり、ちっとも前向きになれなかったり。
そんな自分を「大好き!」なんて思える鬱の人は、まずほとんど存在しない。
さて。
誰かひとり、あなたが大好きな人を、想定してほしい。
友情でも恋愛でも尊敬でもいいし、今いる人でも、過去に関わった人でも構わない。
その人がもし、落ち込んでいたら(鬱まで想定しなくていい)。
あなたは、その人を嫌いになるだろうか。
理由によっては、多少「がっかり」はするかもしれない。
でも、あきれたり怒ったりして、その人を見捨てるところまでは、いかないはずだ。
なぜならその人はいつか、復活してくれるだろう、という信頼感が、あなたのなかのどこかに、存在するから。
あなたの「この人のことは好きだな」という思いは、よっぽど衝撃的な出来事でもない限り、
多少の変動があっても、普段はそんなに、変わらないはずだ。
ねえ。
そうやって他人のことは信用できているのに、どうして自分は信じられないんだろう。
暗くなるのは「病気」のせいだし、まともに動けないのも「病気」のせいだ。
なのにどうして、そんな「病気」の自分を、そこまでゆるせないんだろう。
過去に起こった出来事や経験を、ずっと思い出して後悔しているから?
何度もそれで、自分を責め続けてる?
あるいは毎日、情けない情けない、って思い続けてる?
何か、そういう、「否定の繰り返し」は行っているよね、きっと。
なんらかの「無理」を続けた結果、心がそんなふうに、傷ついたのに。
傷ついた部分を、ずっと見つめて、さらに傷つけてるんだよね、それって。
で、やめられなくて、とまらなくて、それでまた、自分をどんどん、否定して。
うん。痛いよね、本当に。私も、すごく痛かった。
もうね、そこまで、ギリギリと、あるいは針で刺すみたいにチクチクと、自分をいじめなくていいよ。
今、弱い自分は確かにいてさ。そこは、何をしようとすぐには自力で変われなくてさ。
でも無理してたんだもの、仕方ないよ。
普通なら、壊れる前にその無理から、リタイアして逃げ出しちゃったかもしれないのに、
あなたは、たまたまそのときは逃げ出さずに、やっちゃったんだよ。
なんだか、どこか、無理してがんばっちゃったんだよ、何かの理由でさ。
馬鹿だなあ、不器用だったなあ。
そう思って、ちょっとくらい、自分をゆるしてあげようよ。
壊れるまでは、やってみたんだし、さ。
全部を100%、ゆるせ、って言ってるわけじゃないよ。
私だってそんなこと、今でもできない。
何かダメなことが起こったら落ち込むし、自分にがっかりもするし、イライラするときもある。
でもね。
そういう自分であっても、今は別にいいの。
痛んで、ケガしてるときだもの。あるいは古傷がうずいているとかね。
昔のような元気さが懐かしい人は、いつか、また、病気が治ったらそうなれる。
そういう要素、持ってるし知ってる。
昔からダメだった、という人は、それこそ新しいやり方、新しい考え方を、
治ってから徐々に身につけていけばいい。
「60の手習い」なんて、いまや普通のことだよ?
年をとってから性格が丸くなる人もいっぱいいるよ?
ずっとずっと、そうやって、人は変わり続けるのだから、
心や身体のケガや病気によって方向性が変わったとしても、それもまた、変化のひとつでしかない。
本当は、自分を責める材料ではなく、変わるほうへ向かうための「経験」のひとつなの。
ちょっとだけ。今はちょっどだけでいいから、
馬鹿で情けなくてどうしようもない自分を、
「ああもう、仕方ないヤツだなあ」って、ゆるしてあげよう。
そのちょっとから、実は、変化が始まっていくよ……。新しい自分への、ね。
せっかく痛い経験をみずからしたんだもの。
これからはいい人になって、楽しく生きていく人に変わっていっても、別に構わない。
それもまた、これからのあなたが選べる。あなた次第で、ね。