「考え」の通り道

鬱、という病については、それこそたくさんの専門家の方が本などで解説してくださっている。

だから、私が経験した「感覚」的なことや、本を読んで捉えたことを、今日は少し書いてみたい。

鬱のまっただ中……といっても私の場合は「死ねなくなってから」だけど、

ずっと、自分が谷底にいるような気がしていた。

どこに行けば上がれるのか、まったくわからなくて、ただ毎日、うろうろしているような感じ。

あるいは濁った沼にいる魚。見通しの悪い、黄土色の水の中で、

空気を求めてずっと口をぱくぱくさせてて。

上からは日光が一応、届いてはいるけれど、周囲が見えないがゆえに動けなくて、ジッとしている……。

なんかね、そういう「縛られているわけじゃないけど、

よくわからなくてガツガツ動けない感じ」を持っていた。

そしていろいろな本を読むうちに思ったのだけれど、

どうやら何を考えても、思考が煮詰まっちゃう方向にしかいかない、

暗い方向にしか進まない「脳」になっちゃってるんだな、と。

脳の中には、たくさんの電気信号がやりとりされていて、何か感じたり、考えたりするたびに、

脳のあちこちで電気信号が走っているらしい。

医学的には「シナプス」と呼ばれる、枝分かれした道がたくさんある、と。

つまり、頭の中には縦横無尽に道が通っていて、たまたま隣の通路に、なんらかのきっかけで

ひょいっとつながったりもするそうだ(そしてそれがひらめき、と呼ばれる類のものにもなるらしい)。

で、そうやって考えはいろいろな道を通るのだけれど、どうも今は、

暗い結論が待ち構えているところに「どうしても辿り着いちゃう」らしい。

そしてそれが、「鬱」という病の特長であると、思えたのだ。

自分では、普通に考えている……別にその部分は、さほど変わってないと思えているんだけれど、

脳の道が、いつもと違っちゃっているのだ。

そもそも、鬱じゃないときだって、落ち込んだ気分のときには、いつもより元気がなくなるし、

普段なら「やりたい」と積極的に思えることでも、乗り気じゃなくなったりする。

暗い思いがすぐ、心の中によみがえったりね。

そういうとき今までなら、ある程度その状態を味わった段階で「もう考えるの、ヤメだ、ヤメ!」って

自分を鼓舞したり、たまたま聞いた音楽にふと癒されたりして、気持ちが切り替わる。

が、鬱のときには、その「切り替え」が起こらないのだ。

自分で鼓舞することも、当然できないし、ね。

その点がもう「脳のせいで」違っちゃっていることを、自分では気づけない。

そりゃそうだ、自分の中の「思い」はずっとつながって続いているし、

脳が勝手に「暗い方向」へ考えを導いているなんて、自分には見えないし、感じられないのだから。

でも、それが「鬱」という病なんだと。

自分で自分の体調の悪さや怪我の状態を感じられない(確認できない)だけに、やっかいなんだと。

あくまでそれは「病気」であって、あなたが「そういうふうになってしまった」わけではない。

脳の中の“喜びを感じる”らしい物質、ドーパミンだって、分泌量が減っている。

私は通院中、主にこの「ドーパミンなどを増やす」らしい薬を飲んでいた。

前にも書いたけど、人の身体は「その仕組み」(の、しかも一部)しかわかっていないから、

ドーパミンが減ったのはなぜか、という部分は、科学的に解明できてない。

単純に、鬱になるとドーパミンが減る、なら、そのドーパミンを増やせばいいのではいいのではないか、

というようなところから、薬が生まれていくのだ。

今は、なんらかの原因により、気持ちを前向きにすることができにくい脳みそになっている。

そして考えが、勝手にそういう「暗い道」を通る状態になっている。

たとえばドーパミンは、これまたイメージなんだけど、言ってしまえば「気持ちや考えの、道端の応援団」なのだ。

あなたの気持ちや考えが、脳の道を走っていく。

その道端には通常、あなたのよく知っている、親しい友人の応援団グループがいくつもいて、

走っていくあなたの気持ちや考えを「がんばれ~!」と、応援してくれる。

応援してもらったら、うれしいよね。ちょっと「がんばるか」って思えて、パワーを注入してもらえるよね。

で、いつもならたくさん点在してくれている、その応援団が、「病気」のせいでずっと減っているのだ。

そりゃあ、いつもよりつらくなっちゃうよ。

残念ながら鬱は、「ちょっと気持ちが良好になってきたな」とか、「上向きになってこれたかな」くらいの

感覚的な部分でしか、自分の病の状態を把握することはできない。

それがやっかいであることも、私自身、わかってはいる。

でも、応援団が減ってしまう病気であることを「自覚」しないと、自分で自分を責め続けるだけである。

気分の上がり下がりによって、またすぐに、ぶれてしまう。

風邪を引いたことをどんなに後悔したって、風邪が治るわけではない。

「どうして風邪引いたんだ!」って責めたって、治るわけがない。

だって、病、なんだもの。

確かに鬱は、外から入ってきた病原菌が原因ではない。

あるいははっきりと「骨が折れました」とわかるような怪我でもない。

でも、それでも「病気」なのだ。それ以外の何ものでもない。

その病の治療方法は、専門家の方に尋ねたほうがいいだろう。自分に合う方法も、きっと見つけられるはずだ。

でも、風邪のウイルスを直接攻撃する薬がないように(風邪の治療薬はすべて、症状を楽にしたり

他の菌に感染しないようにすることで、さらなる体調の悪化を防ぎ、身体が菌と戦って勝ってくれるまで

体力を持続するためのものでしかない)、あなたの気持ち、考え方の通り道を、

明るい方向へ直接、導くように治していける薬もない。

せいぜい一時的に、応援団を増やしてくれたりするだけだ。

だから、あまりいろいろ考えるのは、今のあなたには本当に向いていない。

そのことをまずしっかり、自覚してもらえたら、と思う。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

*

code