何かがあって、あるいは何もなくても、自分がうまくいってない、ダメだ、と落ち込むことがある。
鬱病じゃない人だって、日常生活の中で凹むことがあるから、それは別に「普通」のことなのだけど、
鬱の病は「切り替えができない、できにくい」脳になっているから、
どんどん、下向きのスパイラルにはまり込んだりもしてしまう。
そうだよね、つらいよね。
うん、つらい。
それはもう、本当に、身にしみて知ってる。つらいよ。
そういう「落ち込む」サイクルに陥ってしまったときに、私がどうしていたか。
半強制的に思考をストップさせるべく、何かをして切り替えたのである。
たとえば、落ち込んでいるそのつらい気持ちを、つたない絵に表してみる。
情景を書いてもいいし、抽象画でも、色だけでも、なんでもいい。
鉛筆や色鉛筆など、芯が柔らかいもののほうが、なぜか私は描きやすかった。
言葉として、紙に書いてみるのもあり。
何かそうやって、自分に淡々と「作業」させてみる。
あるいは音楽が聴ける状態なら、好きな音楽をかけ、耳をすます。
ただ、音の流れを感じてみる。声の美しさを、感じてみる。
身を委ねるように。
あまり食べていない人なら、まずは白米でもパンでも、単品でいいから、とにかく少し食べる。
味も感じにくいだろうから、薄味のままでいい。
ものを食べると単純に、身体が温まる。それは血液の流れを良くするから、脳にも優しいってことだ。
テーブルゲームが好きなら、あえて1人でオセロや将棋を、コンピュータ相手でなく、
本当にテーブルの上で、盤面でやる。自分が相手役をやって、双方を動かすのだ。
理系の人なら、簡単な100マス計算もいいかもしれない。
クロスワードパズルは頭が働きにくいので、あまりお勧めしない。
さらには、単純にシャワーを浴びる。
その際、湯船に栓をして、シャワーのお湯をためながらつかるといい。
ボーッと、首、肩、背中にお湯をかけ続ける。温度を変えたりしながら、遊びのように。
あくまで「凝らない」こと(できないとまた、落ち込む原因になるのでレベルを低くする)、
シンプルであることが大切。集中できないのだから、難しいことはやらない。
そんなことしたって、またどうせ、落ち込みは始まるよ、と思うかもしれない。
でも、落ち込み続ける時間が少しでも短くできるなら、それでいいじゃない。
だから何か「結果」「成果」を求める必要がない作業をするのだ。
絵だって簡単でいいし、100マス計算だって、別に間違えていい。
落ち込み続けてスパイラルに暗くなっていくより、小間切れにしたほうがましじゃない?
答えが出せる脳、じゃないってことでしょ、その状態って。
出てくるのは「ダメだ」以外、ないんだよ? そういう「症状」が強く現れているときに、
あえて何か、素晴らしい変化を自力で起こすのは、至難のワザでしょう?
咳がひどいときに、咳を我慢すると、あるいはずっと咳をし続けたら、何か、いい結果になるかしら。
咳そのものにアプローチするのでなく、ノドの炎症のをゆるめるなど、別の方法をとるよね?
それって「症状」なんだよ。そのことを理解しないと、いつまでたっても自分を責めちゃう。
心の病だからこそ起こる、心に現れる症状。咳や鼻水と、同じ種類のもの。
だから、気分転換するのだ。
咳をし続けると炎症がひどくなることがあるように、
暗い気持ちのスパイラルをどんどん深く掘り下げていけば、
ますますひどくなるときもある(これはもう、私も何度も経験した)。
自分をいじめて楽しくなれるはずないじゃない。自虐が楽しいのなんて、その一瞬だけだよ。
自分に優しくしてあげて、いいからね。
すぐには変われなくても、責めなくていいからね。
ずっと後になって、今のその状態を自分で振り返ったとき、また何か、感じとることができる。
今のその「症状」は、学びとなりうる、ひとつの「経験」だから。
最悪の場合は、寝たっていいよ。投げやりな気分で寝るのって、イヤかもしれないけど、
自分を思考でいじめるよりは、よっぽど心と脳と身体に優しいから。
暗いときは「ああ、今は気持ち、暗いんだな……。やれやれ」って、思っていいからね。
それ以上、自分で自分を追い詰めても、それこそ「意味がない」からね。
ぜひ意識的に、「強制切り替え」していってください。