自分のなかのいろいろな自分

鬱になって動けないときは、いろいろな気持ちが表れてくる。

この状態で、何をどうしていけというのか。

こんな自分のまま過ごして、ときを待つのもイヤだ。

でも実は、どんな変化が来るのかわからなくて怖い。

つらい状況のときには、そういう相反する気持ちが交互に、

または同時に表れてきて、自分で本当に、どうしていいかわからないだろう。

気持ちがグラグラ揺れ動き、定まらないこと自体は、

病の症状として 捉えていい。

そもそも、自分が何か「しまった」と思うようなことをしたら、

普通、一瞬でも動揺する。

その揺れ幅が大きくて長いのだ。

そういうことが、起こっているだけのことだ。

でも、経験したことのない幅と長さだから、つらい。

その深いつらさもまた、初めて体験するものかもしれない。

起こっている出来事、あなたの状況を、

外から見れば、そういう感じなのだ。

たまたま、深い経験をする時期が来た、ということだ。

これまで知らなかったつらさ、知らなかった重さだから、

不安感が起こるのもまた、当たり前なのである。

あなただけがそうなっているわけではない。

その病にかかった人は皆、大きく揺れ動き、自分を責める。

ただ、そういう自分が、いるんだと。

初めての重さに打ちひしがれ、揺れ動く自分がいることを、

まずは素直に認めてほしい。

病の症状を何もかもすべて自分のせいにするのは、

不自然であることはわかるだろう。

自分を責めたところで、症状が軽くなるわけではないのである。

今まで知らなかった自分を知った。

そこからどうはい上がっていくのか、

その過程もまた、未知の新しい経験になるだろう。

すべては、自分の側面の一部分であり、

ダメなあなたが100%、この先延々続くわけではないのだ。

病になるほど自分で自分を追い詰めるチカラが

すでにあなたにはあったのだから、

そこから変わっていくチカラもまた、すでに備わっている。

いろいろな自分をひとつずつ、見つける経験なのだ。

だから自分を責め続ける必要も、本当はないのである。

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