生きていれば、いいことも悪いこともある。
そんなのは、当たり前だ。
しかし、気持ちが痛んでいるとき、とくに鬱という病気になるほど痛んでいるときは、
いいことよりも悪いことばかりに視点がいく。
ひたすら、悪いところだけをクローズアップしてしまう。
たとえば、風邪を引いているときのことを考えよう。
身体が熱や咳や鼻水でずっとつらい。頭もぼーっとしたり、痛かったりする。
当然、会社や学校へは行けない。遊びなどの予定もキャンセルだ。
無理して行ったって、自分がつらいだけだし、周りにも迷惑をかける。
もし、もしね、この「風邪」の状態が1年間、ずっと続いたら。
あなたはたぶん、自分を責めるだろう。
なんて抵抗力のない身体なのだろう。自分の何がいけないのだろう、って。
風邪、という病気の原因は、「ウイルス」だとはっきりわかっているのに、
それでもきっと、自分を責めるだろう。
ずっと非日常的な状態に、自分が置かれてしまっているから。
「普通の自分」でいられないのは、きっと、自分がどこか、何か、いけないんだって。
鬱、という病気は、自分がいけなかった、と思い込むところから始まる。
そのきっかけが周囲にあり、どんなひどい仕打ちを受けたにせよ、
自分というものを「ダメ」だと否定するところから、始まる。
もう最初の段階から、自分のいいところを見えなくしていく病なのだ。
たとえ最初は、戦っていたとしてもね。
ダメだから、頑張る。
ダメだから、カツを入れて叱咤激励する。
ダメだから、もっとやらなくちゃいけない。
ダメだから、我慢しなくちゃいけない、耐えなくちゃいけない。
こういう考え方をしていたとしても、症状が進むと、この気合いも続かない。やがて、
ダメだから、自分が情けない。
ダメだから、自分がキライ。
ダメだから、自分なんていらない。
ダメだから、社会に迷惑だから、必要ないから、消えよう。
というほうへ、いってしまう。
鬱という病のなかにあっては、この「ダメだから」に続く気持ちが全部、
風邪でいうところの「咳」や「鼻水」なのだ。
頭で考えることだから、頭から「出ること」、思い浮かぶことだから、自分では、わからないけれど。
なんで、その思考が続くのか。
なんで、そういう考え方をするのか。
その理由を端的に言えば、あなたが、「今の自分」を認めてあげないから。
こんなダメな自分は、自分じゃないもん! って、全然、ゆるしてあげていないからである。
さあ、難しいよね。
ゆるすって何? って話だよね。
さっきの、風邪の症状の話で例えてみよう。
自分を無理矢理にでも励まし、あるいは否定する。
風邪でそれをやるとしたら、どうなるだろう。
ガンガン発熱中の、咳や鼻水がいっぱいの自分に対して、だよ。
無理矢理に励ますなら、薄着をして身体を鍛えようとする、涼しい部屋で過ごし、
さらに毎朝、乾布まさつする、になるかな。
否定するなら、風邪を「ないもの」として、毎朝、出勤、通学する、かな。ずっと、動き続ける。
……治らないよね。悪化して、肺炎などを起こすよね。
あるいは、他の病原菌をさらに吸い込んじゃって、排出できなくて、二次感染したり。
周囲にもうつしたり。
はい。鬱の人が、鬱の最中に自分を、頭で考えて「なんとかさせよう」とするのは、
まるっきり、それと同じですよ、と。これなら、少しはわかるかな。
症状として、鼻水や咳にあたる「悪い考え」が止まらなくなるのは、悪化するのは、当然なのだ。
なんで、風邪をひいてる自分を、ゆるせないかな。
なんで、ぬくぬくとした温かい部屋で、心地よく布団にくるまって、自分を休めさせられないのかな。
わざわざ薄着して、部屋の温度を下げ続けるのかな。その状態のまま、で耐えなくちゃいけないのかな。
なんで? 自分を温かくして助けてあげるのが、どうしていけないの?
風邪をひいた原因は、過去に経験したことの「受け止め方」にある。
その風邪を悪化させたのは、その後、何かにつけ、自分をダメだダメだと否定し続け、無理させてきたことにある。
その成長させてきた「思考」そのものが、あなたにとっての「頑固な風邪ウイルス」だ。
であれば、過去の体験の「受け止め方」を変えること、成長させてきた「思考パターン」を変えることが、
病を治す方法になる。
あなたは、今の自分をもう、否定しないですむ「受け止め方」を、知らなくちゃいけないのだ。
私にとっての治療は、カウンセリングであり、本から得た言葉であり、薬だった。
といっても、薬は実際「効いている」という実感も、あまりなかった。
悪化しないようにはなってるのかな、もしかして? っていう程度で。
いくつか試してみて、副作用が少なかったことが一番の決め手。
ネットで調べて、禁断症状が強く出ると言われる薬は、飲みたくなかったしね。
睡眠薬だけは効いた。でもそれも、最小限の量しか手元に置かないように処方してもらってた。
私の場合はある日突然、一気に悪化したような形だったので、自分が何をするかわからなくて、怖かったから。
寒い寒い部屋でずっと風邪を引き続けたら、そりゃあ、落ち込むよ。
普通の人でも、自分が情けなくなるよ。
その寒さをしのぐ方法がなかったら、情けない、と思うよ。
そう。あなただけが、弱くてダメなんじゃない。
誰だって、自分の悪いところしか見えなくなれば、そうなる。
まずそこは、はっきり、知っておいてほしいと思う。
そして、「受け止め方」を変えることは、できるの。
あなたが抱えているのがどんなウイルスであろうと、できるのよ。絶対にね。
そのために、医療機関やカウンセリングを、利用すればいい。
鬱についての本も、話も、利用できるものを知っていけばいい。
過去の、受け止め方が下手だった自分を、それゆえに傷ついた自分を、怖いけれど、表に出していくこと。
私は、このブログの最初のほうで、自分の子どものころの性格や親との関係まで引っ張り出し、
いろいろな種類の「自分ウイルス」を見つけていった例を挙げているけれど、
そんなふうに、あなたも、あなた自身のウイルスを見つけることは、できるのだ。
今だから言う。今日の、このテーマだから、こういう表現してみるよ。
死は、最大の「逃げ」であり、「甘え」だ。
これ以上人に迷惑をかけたくないと言いながら、
その相手が一生、引きずるような最大の迷惑をかけた挙げ句に、逃げて消えてしまう行為だ。
その迷惑を最も被るのは、あなたが、一番大切だと思っている人たちである。
だから、あなたが本当に、そこから逃げ出したいのなら。
死ぬ、という甘えをまず捨ててほしい。
そんな手段を、あえて言うよ、そんな卑怯で卑劣で最低な手段をとらなくても、あなたは、変わっていける。
必要なのは、あなたの勇気と、自分自身への思いやり。
ウイルスを見つけ、受け止め方を変えていこうとする勇気。
そして、ウイルスにかかっている今の自分を、温かい部屋に移してぬくぬくさせてあげる、思いやりである。
戦う、んじゃない。
ゆるす、みとめる、いたわる。その準備ができてから、みつけていく。
そこからやっと、変わっていけるのだ。
あなたが、あなただけが、悪くて、ダメで、弱いわけじゃない。
絶対に、絶対に! そうじゃないからね。