「否定の否定」は肯定か

言葉の用法で、二重否定、というものがある。

たとえば「~ではないとはいえない」など。

否定を2回重ねることで、遠回しの肯定(はっきり肯定する使い方もあるけど)を表現するのだ。

「少なくとも、それは“~ではない”とは決まってないよ」くらいの感じ、と言えばわかるだろうか。

否定というのはそんなふうに、いろいろなニュアンスを持っている。

さて。

私たちが自分を変えたいと、思うときに、2つの言葉をよく思い浮かべる。

「このままではよくない」

「こんな自分じゃダメだ」

である。

この2つは、似ているようだが、実はイコールではない。

丁寧に見てみるとわかる。

「このままではよくない」というのは、自分を取り巻く環境を含む。

起こっている出来事……つまり周囲との関係や、誰かの言動によって起こった「状況」を指す。

その現状に自分も関わっているが、あくまでメインは相手や環境を含んだ今の「状況」である。

自分はそこに、巻き込まれているという認識だ。

そう書けばわかるだろう。それに対して「こんな自分じゃダメだ」は、

自分がとった行動・自分の考え方、受け止め方、あるいは感情のみを指す。

周囲がどんな影響を自分に与えているか、は、そこから排除される。

あくまで視点は自分の内側にのみ、向かう。

あなたが「いけない」ことになったのは、あなた一人が何かをしでかし、あなた一人が勝手に判断し、

周囲からは何も影響を受けず、一人芝居のように、そうなっていったのだろうか。

「周囲のせいにしたくない」というのは、確かにステキな心がけだと思う。

卑怯な自分になりたくない、という自負でもあると思えるから。

でも、本当にあなたが「一人で勝手に悪いことを考え、悪いことをしている」のか?

たいていの場合、「悪い出来事」や「悪い環境」が、そこにあったのではないだろうか?

それなのに、あなたは自分「だけ」を否定する。自分「だけ」を悪者と捉え、

自分「だけ」が頑張ればなんとかその状況を打破できる、と思う。

本当に? 本当に100%、すべてそれで解決できる?

あなたは山の中でひとり暮らし? いや、山の中であっても、自然という環境によって

あなたの「できる・できない」は左右されるから、自分以外の環境がない、という状態はそもそも設定できないか。

どうして、「自分はダメだ」が出発点になるのか、そのきっかけは、人によって違うだろうけれど、

たとえば私はそれを「だからがんばらなくちゃ」に発展させ、

さらに「がんばらないと、認めてもらえない」に置き換えていった。

誰に認めてもらえないか? 親に、友達や先生に、社会に、世間にである。

たまたまそれなりに、がんばれていたときはよかったけど、鬱になったら即アウトだ。

自分でよし、と思える言動をとれないんだもの。そりゃあ、全否定になるよね。

自分がダメ、という否定を重ねても、こんなふうに発展して拡大していくだけで、

言葉の用法のように、肯定に結びつくことはまずありえないのだ。

「このままではいけない」のほうが、まだマシ。

自分を含めてはいるが、環境・状況の、何がいけないかを見渡しているから。

自分がいけなかった点と、周囲の「何か」がいけなかった点を、見つけていこうとしているから。

それはある種の「現状認識」につながるのだ。

視点が内側のみに向かうと、現状認識さえできなくなる。

起こる出来事はすべて、自分の考えや気持ちの揺らぎのせい。

周囲の言動や状況は、無視、とまではいかないけれど、とにかく「自分のいけない点」しか見えない。

そのうち、いけない点ばっかりが増えて「やっぱりダメ」「やっぱりダメ」を繰り返していくうちに、

自分が大嫌いになるのだ。もうこうなると、逃げ場がない。

24時間、際限なく、いつでもどこでも自分のなかで自分を痛めつけているわけだから、本当に苦しい。

だから私は、それを感じたくなくて、ひたすらひたすら、寝続けたのだ。睡眠薬の力も借りたりしながら。

その罠にはまっていると気づかない限り、そこから抜け出すことは、相当に難しいだろう。

さて。

また少し話を変えるけれど、イメージトレーニング、ってあるよね。

主に、アスリートの世界などで使われている練習法だけれど。

あの方法には、身体と気持ちの関係、にまつわるヒントが隠されている。

イメージトレーニングをする人は、「うまく対処できている自分」をイメージする。

ただぼんやりと、場面を想像するだけではないのだ。

自分がよくやるミスや欠点は、自分で把握しているから、

それが表に出てしまいそうな場面で、上手にそれを修正できて、

うまくできる自分を想像するのだ。

水泳なら、泳いでいる自分のフォームだけでなく、筋肉の伸び具合、呼吸、身体に感じる水の抵抗の具合、

隣のレーンからの波や息遣いなどまで想像に含める。

相手がいたり、チームプレイの場合は、自分と相手、チーム全体、

さらには相手チームを含めた状況までイメージしたりもするそうだ。

自分がどう動けばいいか。自分がどんな演技をするか。どんなふうに、試合が展開していくか。

実際の試合は、毎日、何十回も開催されるわけではない。

だが、さまざまな場面を想像し、イメージのなかで自分をうまく対処させることによって、

「実際に何十回もクリアしたことを脳に信じ込ませる」ことができるのだ。

このときに一番大切なのが「うまくいっている自分」である。

否定の話は、ここに関係してくる。

うまくいっている自分を何度もイメージし続けることで、実際にうまく動けるようになるのであれば。

うまくいかない自分、うまくいかなかった場面を何度も繰り返しイメージし続けることは、

実際に、失敗を繰り返す自分を作り出しはしないだろうか?

少なくとも、「また失敗したら……」と思った瞬間、人は、怖くなって上手に動けなくなる。緊張もする。

そうすると、失敗する確率も増える。上手にしゃべることができず、相手に伝えられなくなったり、ね。

恥をかきたくない気持ちはわかるけれど、少なくとも「対処できるようになるまでの慣れ」は必要じゃないだろうか?

そして、その「慣れ」のためにイメージトレーニングが利用できるとしたら。

あなたは今、まさに、まったく逆のイメージトレーニングを、毎日、自分に繰り返していることになるのだ。

現状を認めてほしい、今の自分を「そういう状態である」と、“肯定も否定”もせず、ただ、みつめてほしい。

私がいろいろな角度から何度も言ってきたのは、このイメージトレーニングや緊張という話に近い。

少なくとも「否定の繰り返し」をとりあえず、やめてほしいからなのだ。

そう。今は、確かにダメだ。でも、あなたがダメなんじゃない。「今の状態」がダメなのだ。

あなただけが変であなただけが悪くてあなただけのせいで、そうなったのではないのだ。

今のつらい現状を、何より自分が認めたくない。そうやって「自分で自分を否定し続ける」がゆえに、

今の苦しさを長引かせ、さらに自分にとってより深く、つらく、きつくしてしまっているのだとしたら?

もう、それは、そんな「自分の苦しめ方」は、さすがにやめてもいいんじゃないかと思う。

うまく対処できる自分をイメージできる方向へ、「世界」を切り替えていっても、

ゆるされると思うのだけれど、どうだろうか。

切り替えていくための方法については、私の経験した例を話してみたいと思う。たぶん明日……。

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