否定を繰り返すことをやめるために、現状を認識すること。
そのために自分の思考パターンを、見つめ直すこと。
先日からのブログのつづきのような話になっているが、そのガチガチにかたまった今のマイナスの気持ちを、
「見つめる」という作業について、具体的に話していこうと思う。
そのひとつめは、誰かに、自分の過去と、そのときの気持ちを話すこと。
これ、鬱の人には、とても「怖い」話だ。
だって、自分で自分を否定していて、そのために「死」さえ考えていることだってあるのに、
その「ひどい自分」を、打ち明けなくちゃいけないからだ。
「私はこんなにひどい人間です」と、宣言するに等しい。
でもね、本当に、今の現状を(あなただけが悪いわけじゃないよ、今の状態だよ)変えていこうと思うのなら、
あなたの「受け止め方」を変えなくちゃいけない。
そうでないと、いつまでたっても、あなたは自分を責め続け、いつまでたっても苦しいままだ。
薬は、変えていくときに少し気を楽にしてくれる「サポート」はしてくれるけれど、
あなたの考え方そのものまでは変えてくれない。
そんな、マインドコントロールできるような薬があったら、大変だ。
あなたが
自分で
自分を変えていこうと
決心しない限り
その本当の奥底にある「苦しみの原因」からは
抜け出せない
ということなのだ。
そして、奥底の原因は、思考パターンが固まっている今、自力で見つけ出すことはかなり困難なのだ。
鬱が回復してきて、自分自身が「柔軟に」ものごとを受け止められるようになっていたら、
そのときに読んだ本などで、気づけることもあるかもしれないけれど。
そこに至るまで、耐えること自体がつらいと思う。
信頼できる人、たとえばあなたのことを本当に心配してくれる友人がいれば、
その人に、「聞き役」を頼もう。それ以外の人については、あとで述べる。
基本的に「信頼できる人」というのが前提で、しかも「他の人が話を聞く心配のない場所」、
自分の部屋、広い公園のベンチ、など。自分がリラックスできる場所で、話そう。
たぶん、泣くからさ。
聞き役の人には、あらかじめ、お願いしておいてほしい。
「そうなんだ」「うん、うん」「なるほど」という相づち、
「あなたはそのときに○○だと思ったんだね」「○○と受け止めたんだね」という確認・気持ちの要約、
主には、この2つだけで、聞いてほしいと。
もし話が煮詰まって、進まなくなったときには、こう問いかけてもらう。「なぜ、そう思ったの?」
さらに話が煮詰まって、あなたが話せなくなったときにやっと、聞き手が感じた「違和感」、つまり感想をほんの少し。
説得はなし。非難も批判も一切なし。
どんなに「それは違う」と聞き手が感じても、今日は、聞き手側の意見説明はなし。
それを守りながら、聞いてほしいとお願いしよう。上記のことを紙に書いて渡すのも、いいかもしれない。
あとは、感じた違和感を、ときどきメモしておいてもらうとか。
あくまで、あなたが、あなた自身の力で、「思考をほぐしていく」ための、練習なのだ。
これらは「傾聴」、さらには「アクティブリスニング」、と言われる手法に当たる。
本当は、人に話をする場合、この先……もある。たとえば、だけれど、
見つけた奥のほうの気持ちに対して、あなたが、あなた自身に深い問いかけを行ったりする手法が。
でも、それは、心理学的な専門家が同席していないと、実は危険。
あなたが話しながら、つらさのあまりにだんだんヤケになって、あらぬ方向へ話が進んでいき、
自分にひどい言葉を叩きつけたりする、なんて可能性もあるからだ。
なので、まずは信頼できる人にただ、聞いてもらおう。
これだけでも相当に大変なので、そこだけを目指そう。
そこまで恥ずかしい(そう、自分の悪い部分を吐露するのは恥ずかしい)思いをして、やる価値はあるのか。
ある。
話を受け止めてもらう、ということが、どれほど、自分に力をもたらすか。
非難も批判もなく、聞いてもらうことで、自分がどんなふうに解放されていくか。
それは、実感してもらわないと、口ではなかなか説明できない。
できれば本当は、これを、信頼できる専門家に対して、やってほしい。
カウンセリングも引き受けてくれる医師か、プロのカウンセラー。
ただし、こういう過去の自分の汚点をさらけ出すわけだから、
相手の力量はもちろん、雰囲気や言葉遣いなどの相性も、関係してくると思う。
信頼できそうな病院やカウンセラーの探し方は、今なら、インターネットがある。
自分でホームページを開設している医院、カウンセリングルームを探す、
そこに書いてある「文章」の内容と雰囲気から、「時間をちゃんと割いてくれる」かどうかを確認しつつ、
この人なら、話せそうだな、という専門家を、探してみればいいだろう。
誰かのブログに、体験談が載っていたら、それも参考にはなるけれど、あなたの相性と、
その人の相性は別ものだから、体験者の意見も、鵜呑みにはできないと思う。
実力のある専門家の方は、そういうホームページでも、必ずきちんと、思いを語りかけている。
私の経験では、自前で精神科の医院やカウンセリングルームを開いている人のほうが、
そういう「意識」のようなものも、レベルも実際に高かったと思う。
会社が契約していた産業カウンセラーの若いお姉ちゃんが、一番最悪だったな……。
途中、何度か時計を見ながら話を聞かれたり、ちょっとだけ心理学的な話を説明したらおしまいで、
じゃあ次回は……だったり。気持ちがまったく、そこにない。私はあなたの練習台じゃない、と思った。
厳しい言い方だけれどさ。
そんな違和感を感じる相手は、担当を変えてもらうか、通うのをやめたほうがいい。
ただ、本当にプロ意識の高い方、レベルの高いは、原因を見つけ出すのがうまい。
話し手が自分で気づいていけるように、仕向ける技術もある。ちょっと挟む言葉や感想も的確で。
カウンセリングルームを出たあとで、その
実力の差に、驚いたもの。
あんなこと話せちゃった……という感じだった。
このアクティブリスニングと傾聴をしてもらうことで、自分がなぜ、
そんな方向にものごとを考えるようになったか、そのきっかけとなった経験や価値観、
昨日話したような「長所の裏面の短所」に、気づける。
この「気づける」ということが、ものすごく大事なのだ。
そのとき即座に、その思考パターンを止められるとは限らないけれど、
気づけば、少なくとも「ああ、バカだったなあ、自分」と、思えるようになる。
それは、変わっていくための第一歩。
ギリギリと自分を痛め・責めることなく、ほんわり、そう思えたら、
「次からそうならないように気をつける」という練習を、始めることができるのだ。
怖いことは十分、承知しているが、ぜひ、やってみてほしいと思う。
もうね、何より、その「解放感」と言ったら! 本当に、経験してみれば驚くと思う。
外に出たとき、景色までなんだかスッキリしてたもの、私。もちろん、ぐったりもしてたけれどね(笑)
多かれ少なかれ、何らかの「違い」を、頭だけでなく、感じられるのだ。
もうひとつの方法「書く」は、この応用で、自分が自分の聞き役もやる、ということになる。
詳細は、また明日。