こんなこと、くらい?

なにかにつけ、自分を非難する傾向にある人は

自分の悩みについて「こんなことくらいで悩むなんて、私は」と思うことがある。

それは、悩んでいる今の自分そのものを、卑下しているのと同じである。

悩みの種類や内容、その深さは、人によって受け止める感覚が違うし、

ある人にとってはすぐにクリアできる悩みでも

他の誰かにとっては、とても難しい問題だったりする。

それは、その人の個性や、何を得意とし、何を不得手とするかによって、当然、違うのだ。

ただ、どんな悩みであったにせよ

それを「こんなことくらいで悩むなんて」→「負けないぞ!」という闘志につなげていければいいのだけれど、

「こんなことくらいで」→「だから私はだめ、自分が嫌い」につなげてしまうと

その悩みが解決しない限り、無限に自分を嫌ってしまうことになる。

それがひどくなればなるほど、苦しさも増すのは、わかると思う。

自分の嫌な部分を「こんなことくらいで」「だから嫌い」と思い続けることは

何の解決ももたらさないし、実際、苦しさが深まっていくだけなのである。

そこをクリアするために、実際に何か行動する、という方法もあるけれど

たとえばこじれた人間関係など、なかなか行動に移せない場合もある。

であれば、まずはその「受け止め方」を変えてみるのはどうだろうか。

たとえば、人に嫌われることをひどく恐れている自分がいたとしたら、

「どうして私はここまで、人に嫌われるのが怖いのだろう」と考えてみる。

過去に、友達から嫌われたことなどが思い浮かんだりするだろう。

でも、その「過去」の経験がもし今、起こったら? あなたはもう少しうまく対処できたりしないだろうか?

今も、そんな場合には、昔ほどこじれたりするだろうか?

そうやって「すでに少しずつ、変化しつつある、あるいは直りつつある」自分に気づかず

ずっと、昔からの自己否定を持ち続けている可能性はないだろうか?

他人をどう捉えるか、は、年月を経ることによって変えられたりもするのだけれど

自己評価については、ずっと昔のままの「卑下」を引きずっていることも、意外に多いように思える。

あなたは、本当に今でも、「自分のここが嫌い」と思っている部分について、

まったく完璧に100%ダメ、だろうか?

相手や場面、状況が変わっても? 本当に全部、一切だめ?

そしてまた、「こんなことくらいで悩む自分」という、

その「こんなこと」という感覚は、誰が「程度基準」を決めたのか?

実は自分にとっては、結構、大切なテーマである可能性はないだろうか?

そんなふうに、客観的に、あるいは角度を変えて、自分の「卑下」の中身や程度、変化について

見直してみることは、「無限ループ」を抜け出すための、小さな第一歩になるかも、と思える。

少なくとも、誰に何を言われようと、自分にとって大切なテーマかもしれないのだから

とくに、長年悩んでいるのであれば、「こんなことくらい」という程度の設定は、しなくてもいいのだと。

もし可能であれば、ちょっとでも見つめなおしてもらえれば、幸いである。

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