死と向き合うことで

他人と自分の 自死という選択肢に まともに向き合ったことで

私が知ったこと 私が受け止められたこと

その 単純な羅列

死は すぐそばにある

怖い意味ではなく ただ いつかお迎えが来る

ならばその日まで 私は静かに生きよう なるべく悔いが残らないように 静かに

生まれた人は そうやって お迎えが来るその日まで 生きていていいのだ

死をあきらめ 生きていこうと思い直すことは 生き恥をさらすのではなく 勇気のある行為だ

自分がいかに 自分しか見えておらず 周囲に 世間に甘えていたかを 自覚する行為なのだ

鬱という病の恐ろしさは 死を見つめてしまうことであるが

鬱という病は 自分がそこから抜け出そうと本気で思えば 他の 死に近づく大病に比べ

治していける確率がかなり高くなる

自分さえ覚悟すれば 死からも 薬からも やがて離れられることも知った

生きていくということは 自分で自分を 少しでも幸せに近づける練習の場だ

大きな成功や「端からでもはっきりわかる」幸せは あるに越したことはないけれど

それがないと 自分が幸せになれないわけではなく

自分で 自分を 小さな幸せで囲んであげていいのだと

50点の仕事ぶりなら 50点取れたことを喜び

80点取れたなら そこまでできた自分をほめてあげていいのだ

残りの20点を悔やみ 反省し 落ち込む必要もないし

次は90点というハードルを 無理に課す必要もないのだと

さまざまな人が 悩み 苦しみ 自分と戦い ときに和解もしながら

それでも 自分らしい楽しさを見つけつつ 生きている

甘ちゃんだった私に比べれば ずっと一所懸命 ずっとがんばって 生きている

その力のすごさ たくましさ 素晴らしさは

私が 死をまともに考えたからこそ 知ることができたもの

あのとき死にたいと思ったことは 私にとって 決してムダではなかったのだ

今は いつお迎えが来てもいいように 丁寧に生きていこうと思えている

そう思えるようになった自分を よかったと感じられるし

そう思わせてくれた ありとあらゆるご縁 出来事に 心から感謝する

私は そして 人は誰でも 生きていて いいのだ

生きて 小さく または大きく 充足して

日々 自らを 静かに幸せにしてあげても 構わないのだ

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