悲しいね

人は もしかして 自分を消す努力をする権利だけは あるのかもと 思うことがある

たとえば 知人ときちんと完全に縁を切り 山のなかで 誰にも関わらず

何十年も一人だけで生きて 自然とのみ関わって 一体化していれば

社会から離れ そういうくらしをしていれば そこで自然に 朽ちることを選択できるのかも と

でも 普通は そこまでの隠遁生活の努力は しない

必ず 誰かと関わりあって 生きていることになる

そうであれば 自分の味方が一人でもいるのであれば

自分だけが 苦しみから 逃れたいがゆえに

自死によって 味方をである人を 一生傷つけることが OKであると 思わない

あなたは 何の権利があって そんなふうにできるのだ?

本当は 自分が一番 自分をいじめ続けているのだということに 気づいているのに

その状況を 変えたいと 自分が叫んでいることに 気づいているのに

別の見方をすれば

自分が逃げたいから 人を 一生消えない苦しみに 追い込んでも構わないというのは

あまりにも 自分だけが かわいくて

あまりにも 自分だけしか 大切にできない

そういう ひどくわがままな 子どもでしかない

その思いが 病ゆえの あやまちであることでさえ

もはや見つめたくないと いうことなのだから

それくらい 苦しい思いを 今 あなたがしているのなら

どうして 自分の死によって 今のあなたの 同じ苦しみを

よりによって 大切な人に与えることが いいと思えるのか

あなたは本当に 大切な人を 今の自分の苦しみと同じ所へ追い込みたいのだろうか

自分が「そう信じ込む」ことによってでも なんとか 今の状況を変えたいのだということを

その 自分の叫びを どうして 無視するのだろうか

あなたは そんなにも 苦しんでいるのに

あなたは そんなにも 自分を変えていきたいと 感じているのに

どうして 自分のその声を 勝手に「自己否定」に変え 周囲を傷つけながら

すべて なかったことにするのだろう

人は どうして 病である自分を 認められないのだろう

どうして そういう自分を いつくしむことができないのだろう

小さい小さい 傷ついた自分を救えるのは 本当は自分自身なのに

少なくとも 病と向き合うことで そのドン詰まりの状況から 自分で 自分を変えていけるのに

それすらしたくなくて 周囲を巻き込み 傷つけても 自分だけが大事というのは

いったい 何を 守ろうとしているのだろう

そう あなたはいったい 何のプライドを 守りたいのだ?

傷ついた自分を 認めたくないというのは どんな幻想を 持っているのだ?

人より 自分より 大事な幻想って いったい何なのだ?

最後の最後で そんなものに こだわらなくてはいけないなんて 悲しいね

あなたの周りには あなたを 好きでいてくれる人がいるのに それすら わざわざ

見捨て 同じところへ落とし込んで傷つけるなんて そこまで幻想のほうが大事だなんて

命は 無限の可能性を もともと あなたに 与えてくれているのに

そこから変わって 新しい素晴らしさも いつかまた感じていけるのに

生まれてこのかた あなたは ずっと不幸でいた 不幸にさせられていたわけでもないのに

あなたが 自分が病であることを認め

その病を徐々に治し 新しくなろうと思うだけで

世界は今日から 変え始めていけるのに

最後の最後に 病の重さすら認めたくなくて 自分しか見たくなくて

大切な人のあなたへの優しささえ 思いやれない

最後の最後なのに それは本当に 悲しいことだね

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