思い込み

「自分は○○な人間である」という決定を、いろいろな人が、いろいろな形でしている。

それは「自己像」なのだけれど、とくに否定的なものの場合、私には、

その自己像が「思い込み」であるように思えることも多い。

「~できない」という言葉を本人から聞いていても、実際には、とくに大きな問題やトラブルがなく、

「普通のレベル」の範囲内で、できているように思える。

それが「たまたま失敗したとき」に、その失敗したときだけのことを覚えていて、

記憶の中で積み重ねていて、「できない」と思い込んでいることはないだろうか。

100%、絶対に毎回! 上手くできないのと、しょっちゅう失敗するのとは、違う。

なかなか上手くいかないのも、そんなに上手にいかないのも、100%とは違う。

わりと失敗する、なんか下手、というのは、もっと違う。

でも、自分を卑下する人は「絶対ダメ」と言う。

……気持ちはわかるけれど、その否定が、本当にそこまでのものなのか、は、

一度、冷静に考えてみてもいいように思う。

これから先についても、悪い想像しかできないのは「症状」ゆえなのだから。

私には「生きている価値のない人間」なんて、本当に、世界中探したって、

そうそうめったにいるものではないと思えるし(器質的に殺人が好き、とかそういう人ね)、

そもそも「生きている価値」なんていう評価が、自分や他人に当てはめられるものなのかどうか、疑問だから。

ねえ、あなたの持っているその「自己像」は、どこまでが本当、なのだろうか?

そこまで思い込む必要が、本当に、あるのだろうか?

……決して責めているわけではなく、私は、自分に甘いときがあっても、別に、いいように思えるのだけれど。

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