寒い と 思ったときに 着る服があり
部屋を暖める 暖房があり
身体を温める お風呂があり 食べものや飲みものがあり
風や冷たい空気をしのげる 家がある
日本ではまあ たいてい 当たり前のことで
そんな下を見たところで 何も自分には関係なくて
気持ちの慰めにすら なりやしない それがどうした と 感じる人も 多いとは思うけれど
今年はとくにね……言ってもいいと思えるんだ 3月に 悲しい天災があったから
あなたの当たり前は ただの当たり前では ないことを
風邪を引いたら 横になれる場所があり のむ薬や受けられる治療があることも
絶対的に当たり前 ではないと思えるんだ やっぱり
生存に必要なものは ある程度 揃っているから こうしてブログも 読む時間があるわけで
あなたには あなたのその 鬱という病を治す環境が ある程度 整えられているわけで
それこそ上を見たって キリがないのと 同じだとは 思えない?
たとえば 働かなくても十分なお金があって そこでまず悩む必要がない人を 単純にうらやんだりして
ねえ それで何か 変わるのかな
与えられた環境のなかで 人はどうしても 過ごしていかなくちゃいけなくて
病になってしまったのだから なおのこと 誰か……家族やその他
いろいろな人に 助けを借りなくちゃいけないかもしれない
それを悔やんだリ 罪悪感を感じて畏縮したり ずっと嫌がったり まあ そうなることはあるとしても
ずっとそれを「続ける」ことが 何かをもたらすのかな
もちろん今 周囲の環境面で とても過酷な状況に陥っている人もいるだろう
それを乗り切っていくだけで精一杯な 人もいることだろう
そういう人には どうか今は それをなんとか乗り切ってくださいと 心から願うけれど
そうではなく ただ 自分を卑下して嫌い なんとなく日常が過ぎていき
ずっと自分と周囲を悔やみ 恨み つらくて 苦しんでいるのであるなら
そうやって ないものに目を向け続けるのではなく
今あるものに 目を向けて 感謝を感じ始めてみることで
きっと少しずつ 何かが 変わっていくと 思えるんだ……
本当に少しずつかも しれないけれどね
そんなふうに 日々を過ごしてみるのは ダメかな?
ずっと 自分を嫌ったまま 苦しんで苦しんで どうしようもないままで いるよりは……
風邪を引いたら 横になれる場所があり のむ薬や受けられる治療があることも
密やかな 私の願いです