依存とサポート

「依存」とは、他者にさまざまな答えを求めたり、

自分の価値を認めてもらおうとすること。

恋愛に限らず、これは起こりうることである。

たとえば誰かの話が、今の自分の困っている部分に当てはまる、と思ったとき、

その人の話をもっと聞きたくなる。

それを自分なりに噛み砕いて解釈し、気持ちが晴れたり、

悩みを解決するヒントになれば、その話は、自分をサポートしてくれるものになる。

しかしそれにとどまらず、鵜呑みにしてしまう場合が、ときに依存へとつながっていくのだ。

たとえば、の話。

ずっと毎日、ある人に「つらいよ」と悩みを打ち明け、

「うん、つらいですね。大変ですね」という言葉のみ毎回、返されたら、

そのうち自分自身がだんだんと申し訳なくなったり、

行き詰まってしまうことは、簡単に想像できると思う。

かと言って、答えを知っていそう、と思う誰かにガンガン、

それはこう、あれはこう、と、答えを教えてもらったら。

そのうち、その人から離れるのが怖くなる。

だって自分には自信がないまま、なんとかしようとするからだ。

宗教の変な勧誘と、それにはまっていく過程は、まさにこれを利用している。

納得させながらも、相手には、それが「自分ですでにその答えを心のなかに

秘めていたからこそ、そうだ、と思える」、という部分を気づかせないようにする。

魚の獲り方を教えず、ひたすら魚を与え続けるのだ。

そのようにして行き着く先が、他者依存なのである。

しかも「素晴らしい! この教えに付いていけば、間違いない!」

という、相手からの賞賛つきでね(^o^;)

ひたすら優しく受け止め、求めらる答えをどんどん伝えるのは、

本当の愛、ではないとさえ思う。

それは魚の獲り方を一生、自分では気づけなくするようなもの。

獲る能力がちゃんとその人にあることを本人には気づかせないようにして、

獲る前に与えてしまうようなものなのだ。

そして気づかないあなたも、与え続けてもらいたいがために、

やがて何かを譲歩したり我慢するようになるだろう。

そう、あなたは、自分のなかに答えをすでに、秘めている。

それゆえ、よいカウンセラーは、本人が答えを見つけられるように、

会話などで導いてくれる。

やがてあなたが気づけることを、信じている、というより、知っているから。

何度でも言う。

あなたがもし、誰かの言葉に反応したなら、それはあなたの中にもう

答えの「氷山の一角」が見つかっている証拠だ。

それを捉え、元にして、自分で今できることへ、変えていこう。

こうした気づくためのヒント、という意味でのサポートは、

今、可能な範囲でどんどん活用してほしい。

でも、恋人や友人にひたすらわかってほしいという恭順さを求めたり、

自分に役立つ答えを求めたりしているなら、いったん立ち止まろう。

相手にわかってほしいなら、あなたもまた、相手の気持ちを

わかってあげなくてはいけない。それが関係のベースであることを、

この病の間はとくに、忘れがちになりやすいから。

さらには、私にはわかっているから聞きなさい、と豪語する人を

今はとくに頼ろうとしないほうがいい。話を聞くのはともかく、

聞けなくなったら、この人がいなくなったらどうしよう、という不安が

起こるようであれば、それは依存の始まりなのかもしれないから。

だいじょうぶ。

答えは必ず、あなたのなかに、ちゃんと備わっている。

無理せず、できる答え探しや行動を、まずは少しだけやってみよう。

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