失敗してはいけない子

子どものころから 全部 何ごとも 上手にやらなくちゃいけなくて

失敗しそうになったら 親がすべて手助けしちゃう子は

大人になって社会に出たとき 失敗したら 大変なことになるそうである

失敗したときの 挽回の仕方が わからないから

「私は 僕は つねに上手に やらなくちゃいけない」子になってるから

……それが重なったら どうやって生きていけばいいかわからない 迷子の出来上がりである

失敗を どうやって乗り越えるか それを 後ろから 支えてあげても

前に回って あれこれやってしまったら その子自身が智恵を養う機会を 奪ってしまうそうである

これは 親に限らず 恋人や友人 後輩 いろいろなところで 言えることで

あなたが 手をかけすぎてあげると 相手は依存してしまって 自分で何も考えなくなるのである

何かにつまづいたとき 自分でやってみようと思わず それ以上の失敗がつらくて嫌だから ただ困り

立ち止まり 迷って 落ち込んで 人に頼ろうとする

ここまで読めば 逆の立場で 思い当たる人がいるだろう

あなたは あなたのせいじゃないけれど 誰かに すがってないだろうか?

だれかに 前に回ってほしいのに と 思っていないだろうか?

何より 失敗してはいけないのに 失敗ばかりだと 思ってないだろうか?

失敗が怖くない人は 多少はまあ いるけれど 失敗が好きな人は そうそういない

みんな失敗したら「あーあ」って思うんだよ がっかりするんだよ

でも その人たちとあなたの違いは 失敗が 絶対的な悪ではなく

失敗しても なんらかの形で 挽回はできると知っていることにある

だから あなたほどには自分を責めず 挽回のほうへ 意識を向けて 済ませることができる

自分の失敗を 失敗したなと認めても どうして自分は……と 責め続けないのである

ふだんは上手に 意識を切り替えられる人でも

鬱になっているときは 自分を責めやすく ショックも忘れにくいから

似たようなことが起こっている可能性はあるだろう

でもさ 誰でも 失敗するの

誰でも 全部はうまくいかないし

鬱になったら 結構 いろいろなことで 失敗するの

でも それがどうした?

たとえば対人なら 謝り 丁寧に対応することで かえって 信頼が増すことさえある

その結果 失敗は信頼の元になっていく それは果たして 悪いことなのか?

失敗で 大きいものを 得られる可能性があるのであれば

それは失敗ではなく あなたの想像していた以外の 手順だったということかもしれない

あなたの理想通りに 想像の範囲内で ものごとが進まないといけないなんてことは 決まってないのだから

だからね 失敗は してもいいんだよ

自分の想像なんて 予想なんて たかが知れてるからさ

その通りにいかなくても それは失敗ではないし

そこから やってみれば また新しいやり方が 考え方が 楽しみが見つかることもある

失敗を 「間違い」に置き換えても 同じことが 言える

違う形になったからこそ 新しい世界が広がるってことが あるのだ

だからどうか 怖がらないで 自分を責めすぎないで

それによって生まれた 新しい世界を(そう 挽回の過程でさえ 新しい世界である)

見つめてみる時間を とってみてほしいと願う

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