起きる。
顔を洗う。
着替える。
ご飯を食べる。
家事など、自分にとって必要なことをする。
風呂に入る。
寝る。
ときに、トイレに行く。
身体を清潔に保ち、栄養を摂取し、病にかからないための作業。
生きていくうえで、家と服と食料があれば、これらは基本的にできることである。
そして生きることを、作業の面だけで言えば、これだけでいい。
仕事は自分で稼ぐための手段であり、稼ぐのはすなわち、上に書いたものを維持するために行うこと。
生きるうえで、呼吸は自然に行われ、心臓も意図せずとも動いてくれる。
あとは、維持である。
もちろん、それだけでは「つまらない」から、何かをしようとし、得ようとする。
それは生きていくための作業ではなく、「日々を楽しむ彩り」。
そこで、まず必要なお金を十分に得たりすることが作業として加わる。それが仕事、である。
全員がやらなくてはいけないことではなく、家をキレイに保ち、健康を守ることに集中して
その役割を主に担うのが、主婦や主夫。稼ぐ人を支える役目である。
……と、こういうふうに書けばわかるが、生きることは、シンプルである。
病などにより、健康を維持できなくなってくると、このシンプルさを保つのが
通常より難しくなるが、それでもたいていの人は、病院に行ったりしながら、
できる範囲で、自分のくらしを保とうとするだろう。
そこに「ややこしい問題」が加わってくるのは、ひとえに「もっと幸せになりたい」からである。
ごめんね、こういう言い方をすると身もフタもないかもしれないけれど、
これ以上のことって、結局のところ、基本は「欲」「願望」なのよ。
もちろん、身近に病人がいて、介護等、そのお世話もあって、など、必要な作業の種類や内容は
人によって千差万別である。でもそれも、誰かが「日常生活を営むのが困難」なゆえに、
サポート役を担当するってことであり、生きていく面でのシンプルさは、大きくは変わらない。
自由になる時間がないから、とか、自分の思った通りにならないから、とか、
そういうことで「不満」は溜まるのだけれど、それは「自分の人生を充実させたい」ゆえであって、
つまりは、あなた個人の願望がどれだけ叶えられるかどうか、の話になっていく。
欲を持つのが悪いってことでは、決してない。
人生を楽しむことはもちろん、生きていくうえでとても大切な要素だ。
でもね。欲ゆえに、キリがないんだ、ってことは、わかってほしいのだ。
誰か、他人によって明らかに自分の行動が制限されているなら、それは単純につらいと思う。
人は、自分の幸せを自分で選んで謳歌するほうが楽しいに決まっている。
でも、ここで、考えてみてほしい。
毎日が不満だらけの人は、いったい、どれほどの願望を持ち、それをかなえたいのだろうか? ってことを。
とくに鬱になると、本当に毎日がダメダメに感じる。
単純な作業でさえできにくくなるし、人間関係もややこしくなる場合があるから。
食べることだって、ままならない人もいるだろう。
でも、毎日三食、ご飯とおかずを必ずきちんと食べないといけないわけでもないし、
睡眠サイクルが狂っても、ある程度身体は維持できる。
それですぐに死んでしまうわけでもない。
つらいのは、今の自分が日々を楽しめないからである。
自分が思い描いた通りの人生じゃない、と自分で「決めている」からである。
じゃあ、そのあなたの決定は、変更、改訂、一部消去できる部分って、まったくないのだろうか?
それはあなたにとって「敗北」なの? なぜ? いつ、そう決めたの?
どんな要素で? そこに過剰な自信はなかった? 無謀な理想はなかった?
どれほど「周りに言うことをきいてもらう、協力してもらう」要素が必要?
どれほど「お金」は必要? どれほど「名誉」「尊敬」「出世」が必要?
先ほども言ったように、生きること自体は、そんな大幅に、困難な作業が必要なわけではない。
ある一定の水準、自分の決めたレベルが達成できないから、と悩むのは、
その部分ですでにあなたの「願望」「欲」が加わっているからなのだ。
学校や職場や、もしかして家庭で嫌な人に囲まれてつらい、と思うのも、
その人たちが欲をあなたにぶつけてくるからであり、
あなたもまた、自分の欲を相手に叶えてもらおうとしているのかも、しれないのだ。
それが根本的な前提としてあるから、お互い、つらくなるのだ。
何度も言うけれど、欲があることが悪い、と言っているのではない。
ただ「見方を変える」「受け止め方を変える」ことで、何か、自分がよりラクに、楽しくなれるのであれば、
それって、OKなのではないだろうか。
その欲に固執する必要がどこまであるかを、見直してみてもいいのではないか、と思うのだ。
欲をぶつけてくる相手を、まともに受け止める必要が、あなたにあるのだろうか?
では、戦わなくてはいけないとしても、どこまで?
稼がなくちゃいけないとしても、どこまで?
「ちゃんとしなくちゃ」の「ちゃんと」って? そのゴールって、絶対なの?
欲をさらに「人間として」だの「正しい」だのという判断に持ち込むと、
自分自身ががんじがらめになったりする。
自分は、間違ったことはしたくないから。相手は、間違ってるから。悪いから。
……自分も、本当は聖人君子ではなく、普通にちゃんと「欲」を持っているのだ、ということを、
忘れてしまうのだ。
その希望をかなえたいのは「あなた」の都合である。
あなた自身がそう「決めて」、目指して、やっている。
相手の横暴さに耐えろ、と言ってるわけでもない。自分をを守るために、戦うこともときに必要だ。
あなたは、相手の欲や希望を叶えるためだけに、存在しているわけじゃないから。
あなたは、独立していていいのだから。従属しなくて、いいのだから。
ただ、鬱々と過ごしていく日々のなか、病気になっていることにさえ落ち込んでいるなら、
自分が苦しんでい