聖人君子じゃ あるまいに
さもありなんと そんなこと
なぜに おまえは 思うのだ
なぜに おまえは 決めるのだ
自分のなかの いつわりの
勝手な 理想を 持ち上げて
そうならないのは 人のせい
そうならないのは 親のせい
そうならないのは 友のせい
そうならないのは 上のせい
そうならないのは 下のせい
どこまで走る その理由
そうかと思えば その次は
自分のせいだと 決めたらば
あらゆることは 自己のせい
自分をひたすら 下げまくる
おびえたいなら おびえなさい
ふるえたいなら ふるえなさい
泣きたいときは 泣きなさい
苦しみたいなら ご自由に
周囲の理屈を どう捉え
周りの評価を どう感じ
世間を気にして 生きるのも
できないダメだと 決めるのも
すべては 自分の決断だ
正しいことは 何なのか
よいこと よいもの よいくらし
そこに囚われ もがくなら
私は一生 苦悩する
私は一生 苦労する
知っておくのは 自己のこと
そういう自分が 馬鹿なこと
正しいことは 普遍にあらず
時代によって 変わるのだ
変わらぬものは ないのだと
今がどんなに つらくても
そこから 学びを得る者は
やがては 脱皮 していける
やがては 変化 していける
……そこから 変われるのは
自分自身を 許し 認め
もうこんな捉え方は やめようと決めて
自分に 周囲に 優しくなれたときである
立派に すばらしく成功して
評価や地位を得る必要など どこにもないのだ
100年経てば 私がいた痕跡など どこにも残らないだろう
人生は ときどきのうれしさと楽しさと
ときに静かな満足を得られれば
それで十分である
自分の小ささを 祝え 私