血を分けた親が 昔からいない人は
親との間で育まれる愛情というものを 知らないかもしれないけれど
そのかわり 肉親という存在から受ける 理不尽な仕打ちの苦しみを 味わわないですむ
他人の間で生きていかなければならない 肩身の狭さを感じても
なぜここで殴られるのか なぜこうして無視されるのか なぜこれが非難されるのか
血のつながった 特別な存在の大人からの 理由のわからない虐待に
それは全部 自分のせいだと 刷り込まれずに生きていけるだろう
いじめる親と いない親 ねえ どちらがひどいかな
どちらのほうがより 淋しくて つらくて 苦しいかな
それを比較して 一生 自分が
親がいないから
親がいるから
こんなに苦しいんだと 思い続けるってことかな
たまたま親がいて その関係が上手くいっている人は
ひどい親がいる人からも 親がいない人からも
うらやましがられて あんたはいいねと 思われ続けなくちゃいけないかな
それだって その人は 何も努力してない 棚ボタ かな
親が ただ ただ ひたすらに すばらしいだけかな
生まれた環境を 恨み続けるのは
お金持ちじゃないからとか 親に学がないからとか
そういうのまで含み始めたら 本当にキリがない
でも そのせいで 自分は 最初からゆがんでいるのかな
そのせいで 絶対に 必ずダメで ゆがんでしまうのかな
本当に そうかな
結局すべては あの親がいるから 親がいないから ダメになるのかな
そこには まったく 自由になるすべは 存在しないかな
こうした気持ちは 親の話に限らないこと
読んでくださっている方には おわかりいただけると思う
ねえ そこに自分は 縛り付けられているんだよね?
ではいったい 誰が そうしているのだろう?
それを 選んでいるのは そう感じることを 選び続けているのは
いったい 誰なんだろう?
もちろん すぐには抜け出せないかもしれない 少しずつ変えていくしかない場合もある
でも あえて今日は ここで私は尋ねる あなたへ もちろん自分に対しても
ねえ 教えて あなたは いつまで そこにいるつもり?