さて、先ほどの話を少し振り返りつつ。
価値観的な問題では、「正しい」ことはひとつではない。
倫理感だって、文化が違えば異なる。
たとえばアラブ民族の男尊女卑的、一夫多妻制の価値観は、
日本人にとって理解しづらいものもあるかもしれない。
インドの身分制度だってそうだろう。アジア文化圏内での価値観の相違も、よく騒ぎになっている。
でも、ありがたいことに「幸せ」の視点で考えてみるとき、
「思いやり」や「親切」、「親愛的愛情」は、万国共通である。
マザー・テレサを「あの人は間違っている!」と非難“しきれる”人は、
世界中でも、たくさんはいないだろう。
どれも全部、発する側、受け取る側の双方がうれしい。
もっと言ってしまえば、「発した相手に届いた」、
自分のなかから「自然に発露した、そうした思い」が相手に素直に受け止めてもらえ、
喜んでもらえたときが、一番うれしい、幸せなのだ。
そう考えると「相手にだけそれを求める」のは、
相手側の「自然な発露」を待つわけではないから、強要である。
「私がそうしてあげるから、あなたも返して当然よ」だと、これまた「自然」ではなく、
単なる取り引き、もっと言ってしまえば「私も受け取ることありき」の、やはり強要的発想である。
まあ、そうなってほしいと話し合う、双方の着地点を求めるという面においては、まだ余地があるけれどね。
届かない人には、素直に受け止められない人にはどうするか。
これもまた、マザーの話をたとえに出すと、
行動で示し続けることが、理解を得る、ひとつの方法だと思う。
彼女は、おびえて受け取れない人にも世話をして、やがて、心を開いていってもらった。
それは「その人が瀕死」の状況だったからだけれど。
救いが必要だと、誰もがわかる人に真っ先に自分が手を差し伸べたのだ。
ここまでできる人は、そうそういないだろう。
でも、相手側の理解、という面で考えたときも、彼女は争わず、戦わず、
ただ「そのことだけに集中して行動する」ことで理解を得たのだ。
彼女がスラム街に行き、文字通り身ひとつで、倒れている人を助ける活動を始めたとき、
ヒンズー教の人たちは「改宗を意図している」「キリスト教の宣伝行為だ」と彼女を非難し、
スラム街から追い出そうと集まってきた。
そのとき、そうとは受け止めなかった、あるまとめ役の人がいて、その方の発言もすばらしいのだが、
「では彼女の代わりに誰か、この人たちを世話してあげてください」と、援護したのだ。
非難しに集まった人たちは、黙々と世話を続ける彼女に誰も手を出せず、
また、誰も代わりになれず、ひとり、またひとり、立ち去るしかなかった。
受け止めない人に向かって、それでも思いやりを与え続けろというのではない。
あなたが誰かに思いやりを発したいと感じ、
そして「それを求める人」にも、きちんと届いていると感じるのであれば、
周囲の誤解や非難と「わざわざ戦う」必要がないのである。
ましてや、自分が向き合う相手に届かないのであれば、それもまた「戦う」必要がないのだ。
だって相手は、それを素直に受け取れないのだから。
それは相手の問題、相手の価値観である。
そこまで親切に、相手を変えてあげる必要は、本当はない。
相手をとても大切に思い、苦しんでいるのを助けてあげたい、と思えるときだけ、
チャレンジしてみればいいと思う。
ただし、そんな相手であっても、届かない場合もありうる。その点は理解しておいてほしいと願う。
まあ、最初はとくに、あなたの思いを受け止められる人に対して、
幸せになるための思いやりや親切、愛を発してあげれば、それでよいのである。
それを「し続ける」ことで、マザーのように「この人はそういう人だ」と理解できる人が増えて、
周囲にどんどん、その輪が広がっていけば、うれしいよね。
マザーはホント、決して「戦わない」のだ。
寄付を得るために説明、説得には行くけれど。
もちろん彼女も、理解のない人に怒ってはいたらしい。
でもあきらめず、理解してくれる人を求め続けた。欲する人には与え続けた。
彼女の中には「キリスト教」という核があったからできたのだろうけれど、
そこまでいかなくてもちょっとは、学べる部分があると思う。
実際、彼女は「平和を願う集会には出るけれど、戦争反対の集会には出ない」と、はっきり明言している。
人には人の価値観があるということを、それを自分が「相手を変える」ところまで活動しなくても、
もっと他に、やるべき大切なことがあったのだ、きっと。
救いを求める人は、とくに初期の頃、たくさんいたしね。
彼女が活動を始め、やがて、インドの街から「行き倒れ」の人がいなくなった、という事実は、
なんだか勇気を与えてくれるように思える。
幸せって、届くのだ、そして、広がるのだ、と。
こういうやり方も、幸せを求めるひとつの方法だと思える。
なんだか幸せの求め方、みたいな話にもなってしまったけれど、
仕事や対人関係その他、何か問題がある、幸せじゃないと感じたときに、
自分の視点をどこに置くかという面で、参考にしていただければ幸いである。