私にもまだ 苦手な人はいるし
嫌いだと感じる発言もある
なぜそう考えるのよ と
疑問を唱えたくなったり 実際に唱えたり
でもね 前とは違ってきたなあ と思うのは
その感情を 持つことを 自分に許せるようになったところ
そういうふうに感じてる自分がいるなあ と
ただ 眺めているような部分が
自分の中に一部あって
その部分のおかげで
振り回されないというか 飲み込まれないというか
そんな感じなのだ
しかもこれ 私がたぶん 自分で徐々に
そのほうが楽だと気づいてから
練習してきたように思える
その結果 徐々に 眺めてる自分のほうが
大きくなってきたような 気がするのだ
この 確信ではないけれど
なんとなく の 感覚をつかみつつあることにより
なんだか動じないし 呼吸も楽になってきている
そういう自分もいていいんだ まあ ホントはまだ気持ち悪いけど
でもまあ そうか いいのか と
少しでも 最初は無理やりでも
感じてみる(正しいかどうか云々は とりあえず脇に置いてしまって
少しだけ 自分を 微笑んで見るかのように 遠くから捉えるのだ)
そういうのは どうだろう
どうせ 同じおバカ加減を自分の中に 感じるのだから
それを微笑んで見てみるのも まあ もしかして ありかな と
そんなふうに たまには歯をくいしばらずに
捉えてみるのは どうだろう
たとえ状況が変わらなくても 悪いままでも
自分の馬鹿さは 変わらなくても
練習していければ いくほど きっと前より 楽になれるのだけど