理想形への固執

これならうまくいく?

そんな絶対安心、納得万全なやり方は、ない。

自分でやっても行き詰まったり、

人との関係なら、当然、

相手の意思も関わってくる。

うまくいかないってことは

完璧な実現を目指し過ぎてない?

いろんな場面における

自分との関係も

他者との関係も

少しずつ、重ねていくもので

そりゃあ、恋愛なら最初に

一目惚れでワーッと

ノボセたりすることはあり得ても

そのうち落ち着いてきたら

相手のこと、冷静にみるよね。

あらゆるものごとに対して、

ゆっくり、軌道修正しながら、

ちょっとずつ、探る、近づく。

それでいいし、そのほうが楽だよ。

なんでいきなり上手にできないからって

ダメとか、あきらめちゃうの?

そこに「どうせ」っていう否定が

もともと、隠れてるのかな?

あらゆることは練習なのに

ろくにしないうちに

できないって悩むのは

もったいないよね……。

頭の中だけで最初から

納得できる結果や手段、

美しい関係づくりなんて、

望んだ通りの結果なんて、

そんな簡単に、生み出せるようなことではなくて

どうしても理想に近づけたいなら、

お互いに、あるいは自分自身に対しても

少しずつ、折り合いをつけていくことが

大切なんだと、思えるんだけど。

それは手抜きでもなんでもない。

途中であきらめて

適当なところで手を打つって話でもない。

思った通りにものごとが進まないと

全部、自分か他人のせいで、ダメなことっていう判断?

予想や予測とは違う流れを

なぜ変化として、楽しめないのだろう?

理想の形以外、

自分に対しても

他人に対しても

受け入れたくない、のだとすれば

それはやっぱりただの、

自分の考えの押し付けでしかないよね……。

それを逆に相手からされて、

無理やり飲み込むのも不自然だし苦しい。

お互いさま、なのだ、ある意味。

だから折り合い、って話。

うまくいかないことだらけにするより

これはどういうことだろう? って

新しく感じることを探ってみるほうが

ラクだし、幸せだと思えるんだよな……。

失敗も、トラブルも、

思った以外のこと、だけど

挽回していくための

変わっていくための

きっかけ、にすればよくて。

ダメ、ダメだった、イヤ、無理、

という負の否定感情だけに

とらわれ続ける必要は

まったくないのだと思える。

とらわれてしまうのはなぜか?

鬱の人なら、すでにその段階で

脳みその回路が暗い方向へ偏って、

思考の通路が狂ってるから

それをまず、元に戻すための

自分に対する休息が必要。

鬱、ではなかったとしても

怖がってるわりには完璧主義、なら。

それは裏を返せば

理想形に固執しすぎ、なのかもしれない。

過去の自分の反省を踏まえて

できればもう少し柔らかくなろうと

大らかになろうとしている私が、

最近感じる、とりとめのない話。

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