今日は、自分が今、持っている感覚、の話。
素直に、最近の私はこう感じている、ということで、
これが良いとか悪いとか、善悪つけるつもりもない。
たまたま、私の場合は、これで自分がラクになった、という話。
まず、気持ち。
自分の考えることが、とてもいいとか、とても悪いとか、
「正しいかどうか」を、今の私はあまり気にしない。
居心地よく感じること、を優先しているかもしれない。
結果的にそれは、一般的に言えば、
間違いとはいえない範疇に収まっているんじゃないかな、くらい。
世の中に、ある一定の理論に沿った「正しいこと」なんて、
それこそ山のようにあると思える。
たとえば、殺人を息子にさせるのは嫌だから戦争反対、というのは
ある意味「正しい」ことで、
平和を祈念するのも「正しい」。
で、どっちの「正しい」が、私にとって
より心地よく感じられるかというと、
平和祈念、なわけだ。
個別ではない、国争いにおける殺人に反対、という気持ちは、
もし、身近な誰かが戦争によって
爆撃で死んだとき、銃撃で死んだとき、
「相手が憎い」につながり、
もしかしたら、少なくとも直後には
仕返しを肯定するかも、と、心のどこかで思えているからだ。
万が一、戦争になってしまったとき、
真逆のことを自分が感じる可能性を知りつつ、
それでも今は戦争反対、と、言い切るのって、どこか気持ち悪い……
そんな感覚を覚えてしまう。
だからこそ、ガンジー元首相のすごさを感じるのだけれど……これは余談。
それよりは平和を祈るほうが、自分にそんな嘘をつく、
真逆を肯定する可能性がほとんどあり得ないので、
より、自分にとって心地よい。
これって、私の感じることが常に「正しい」わけではないことを、
まあ、自分を殺したくなったからこそ、
思い知った……とも言えるだろう。
自分の感覚なんて、環境やそのときの体調、気分によって
いろいろ変化するのだ、と。
当てにならないということではあるけど、
当てにならないからこそ、執着する必要もないと思えるようになった。
そして、身体。
鬱になる前は、過信もあって、かなり自分の身体にムチャクチャな
負荷をかけていた。寝ない、休まない、無理気味でも出かける、などなど。
その結果、恒常性を保つ機能が崩れ、
身体は完全にバランスを失った。
壊死性リンパ節炎という奇病にかかったり、
地味に発熱だけ毎晩したり、
脳みそのバランスが崩れて鬱になったり。
さんざん、こき使った挙げ句、壊れた。
で、今でも、完全にはもとに戻らない。
ときに現れる過激な低血圧(普段は上が100なのが、
いきなり80を切ってしまうとか)、
それに伴う頻脈、めまい、たまに血圧には関係なく微熱も出る。
過信して、私がつくったわけでもなんでもない身体を、
奴隷のように扱った結果が今だ。
もともと、思い通りにさせること自体、不可能だったのだ。
心臓に命令ひとつできない。
なのにいつの間にか、頭の中の考えを優先して、
まるっきり自分がこの身体を支配しているかのように
勘違いした。だから壊れた。
そのために睡眠薬と向精神薬を投与し続け、薬漬けにもした。
薬が抜けたころ、低血圧が始まった。
……自業自得なのだ、ある意味では。
ゆえに私は、自分の身体に対しても、
感謝する……程度になった。
過信もコントロールもしない。
その代わり、ムチャな放置もしない。
身体の働きに対して、自分の意志で協力する、くらい。
ご飯、睡眠、衛生、ストレス解消など、それも
ガチガチにしっかりでなく、ある意味、適当、ゆるい協力。
そんなふうにゆるくなってから、私が支配するものではないから、
私の所有物ではないから、決して思い通りにも、
うん、当たり前だ、ならないんだわ、と
捉えられるようになった。
身体は身体で勝手に、バランスを整えようと、日々、調整に
チャレンジしてはくれている。
たまに間違いをおかし続けるけれど、
その狂いを生じさせポンコツにしたのは、ある意味、私だ。
私はそう扱ったのだ、壊れるほどに。
という感じで、私は、
身体が私の思い通りになるもの、という発想をやめ、
なんとなくだが、提案型にしていった。
たとえば体重が増えないように、
ちょっと意図的にもやらせてね、みたいな、
友達感覚の話しかけ……に近いもの。
今日はご飯、こんな感じの手抜きしていいかな、とか、
逆に食べていいかな、寝ていいかな、寝ないでいいかな。
そんな感覚になってから、たとえば、体重を減らしたくなったとき、
実際、いい感じで減り、その後も体重が増えにくくなったりもしている。
ゆるいお付き合いで、身体の狂いはある面で、あきらめ気味、
まあ、プチチャレンジくらいさせてよ、なイメージになったら、
急激な体調不良が来たときも、やれやれ、と
「眺めて」いるような感覚になれた。
つまりは心・気持ち・考え方も、
身体も、私が
「こうあるべき」をやめたのかも。
やめたら「本当はこうじゃなきゃいけないのに、なぜ!?」
というような「責め」や「不安」が減り、怒りも減り、
ついでに考えに自信もなくなった分(笑)、他者への怒りも減り、
幻滅よりは、自分とは違うな、という
割り切りが先にくるようにもなった……。
ゆるいかもしれない、
いい加減かもしれない、
ダラケている、と捉える人もいるかもしれない。
でも、私、ラクになりました。