苦しみ、というものを、まずは他者との関係の一部分から見てみる。
私は今、苦しい。
誰かになんとか、この苦しみを取り除いてもらいたい、
できればさらに幸せにしてほしい、と願うこと。
それが、まさに「どれほど苦しいことか」は、やってみればわかる。
意味がわからないなら、実際に、アメブロ内を検索してみればいい。
つらいんです、苦しいんです、こんなにひどいことがあって、
だから私を助けてください、と叫んでおられる方が、たくさんいる。
あなたも、同じなのだから、受け取りたいなら、やはりそれは
誰かにお返ししたほうがいいよね。
一方的に甘えるのは都合良すぎる、と心のどこかでわかっているはず。
だから、そういう人の誰かを選んで、心置きなく相手がすがれるように、
誠意を持って、尽くしてあげてみてください。
自分が受け取る分を、先にお返しするつもりで。
やがて、相手は、あなたの都合や考えや立場などお構いなしに、
24時間いつでも、聞いてください、つらいんです、
助けてください、と、連絡しまくってくることになるだろう。
そしてあなたは、それを受け止めることで
「うれしい、他人の役に立ってる」と思えるか、
「今は無理なのに、面倒な」と思えるか、
どちらかになっていくだろう。
うれしいと思えば立派な「共依存」の成立、自分よりも相手が必要な関係、
面倒な、と思えば、相手から離れざるを得なくなっていく。
これが、過去に何度か言ってきた「自分の回復を他人任せにすること」の
実際の流れである。
恋人さえいてくれれば幸せ、友達さえいてくれたら何とかなるのに、
家族が悪い、職場のせい、社会のせい、たまたま周囲に恵まれてないし、
それさえまともになれば……と思っている限り、
あなたの気持ちは、常に周囲の状況に左右される。
あなたが丁寧に自分で決める、選ぶことは、できなくなる。
そしてずっと、もどかしい、悔しい、つらい、苦しい、と
それだけに気を取られ、生きていく。
じゃあ逆の立場、どっぷり助けてもらう側、だったら?
やはり相手から、あなたの感情より先に、あなたに「こうしたほうがいい」
「こうするべき」「私がいるから大丈夫」「私に任せなさい」と
という種類のことを言われるようになり、
あなたの判断は、許されなくなっていくだろう。
その場合、もし安心すれば何も考えない、
自分では感じ取ることができない支配人形になっていくか、
いつまでたってもすべて支配されることに、イラつくことになっていくか、だろう。
あなたの都合に合わせ、完璧に助けてくれる相手はいない。
なぜなら相手もひとりの人間で、相手の都合があるから。
相手の都合と、自分の感情の都合、を忘れ、
家族なら、パートナーなら、友達なら、
相手さえ変わってくれれば、あるいは誰かとそれができれば、
私は苦しみから逃れられ、素晴らしい気持ちでいられるはず、と
決めつけ、夢想しているなら、
ゴメンね、それはまさにドリームでしかないのだ。
~つづく~