私は低血圧に陥った以降、よくそう思うようになりました
(感覚に慣れるまでがホント、なかなかつらかったので)。
そうしたら、
そう思わないとやっていられない
→そう思うことを選んでいい
→なんだ それでいいのか
→じゃあ そう思うことにしよう、少なくとも血管の負担は減った
→その部分では以前、上が130あったんだから、ラッキーじゃん♪
と、「なんだかよいこと」に変わりました。
で、「そうか、そこだけ見て『も』いいんだわ」と。
ある意味、体感したのです。
だってね、「生活上つらいこと」を数えはじめると、きりがないのです。
立ちくらみはひどいわ、頻脈、頻拍はしょっちゅうだわ、
鉄分ちょっとでも不足したら朝は「起き上がる」のさえきついわ。
仕事でも身体キツく感じるし、ときにしゃがんで、迷惑やら心配やらかけるし。
ある夏、一気に降圧、だったからこそ、そういう感覚が強かった。
そのとき、そっちのイヤな方面で、
つらさや心配や不安を究極まで働かせるならば、
たとえば私の場合、血圧70~80のままだとどうなるか。
立ちくらんだときに、
いつか階段から転げ落ちるかもしれないし、
駅のホームから転落するかもしれないし、
おばあさんになって道路でしゃがみこんだら
車を運転してて私をはねた人なんか、
ものすごい迷惑をこうむるよ?
そうでなくても頻脈・頻拍がこのまま続けば
心臓が早くダメになって早死にするかもだし
ジョギング系の激しい運動は心臓異常を引き起こすと言われたし
朝はゆっくり以外、動きようがないし
も、すでに老人かよ?
って受け止め方も「できた」わけです。
そっちでも「いけた」し、
それはそれで「ものすごく気をつける」習慣が生まれたかも。
でも、そう思って生きていったって、別に楽しくなかったのです。
しかも、他のことにもどんどん波及して、
いろいろ楽しめなくなりそうだったもの。
なので、悪い方面を数え上げて、わざわざ自分で
イヤな気分を盛り上げつつ、一生を過ごすのはやめよう、と。
いい部分を「ギフト」として、そう捉えることにして、
そっちのほうをたくさん受け取ろうって。
そうしたら、3年後くらいから、だんだん平均血圧が
上がるようになって(といっても、途中からもう、
気にならなくなって血圧のチェック回数も激減したから、
忘れたころにふと「そうだった」くらいの確認になってたけど)。
上がったことはたまたま幸いで、でも別に上がらなくても、よくなってた。
以前にもご紹介したけれど、ここのブログでお知り合いになれた、
全身がんに罹られた経験を持っておられるキシリトールさんも
まったく同じことをおっしゃっていて、
「ああ、私よりキツイ状況でそれはすごい」と感じたり、
「でも逆に、開き直るしかない、っていう割り切りの強さも生まれるかな」
と思えたり。
うん。
いずれにせよ、ですよ。
状況、身体、環境、
それぞれに、何がどうなろうと、何が起ころうと、
それを心配するのも、不安になるのも、開き直るのも、
ギフトだけ受け取ることにしてあとは無視するのも、
それらをどこまで配分してそれぞれどれくらい受け取るかも、
全部、自分が決めたらいいんだな、って。
元を正せばきっと鬱の体調不良から始まった次の不調だと思えるけど、
そして鬱の真っ最中は、さすがにそこまで「ギフトのみ」
って発想は無理だったけど、いろいろなことを学ぶうちに
「いつかそう思えたらいいな」という思いは始まってた。
それが始められたら、確かにだんだん、生きやすくはなったのです。
で、ずいぶんあとになって、なぜか低血圧のみがやってきたときも、
そういうふうに切り替える練習してたから、
少し「ギフト」方面に目を向けやすくなってたんだな、って。
最近、本当に今になってから、そう思える次第。
たぶん、こういうの、人生のありとあらゆることに当てはまるよね。
えーと、たとえば
「かっこよくできないといけないから」
「きれいでないといけないから」
「素晴らしいと思ってもらえるものでないと」
「立派でないと」
「健康でないと」
「完璧でないと」
そう思うと動けないし、できないことに嫌気ばっかり増殖するし、
心配や不安はそれこそ、てんこ盛りにやってくる。
でもさ、本当にそうでないと、やってはダメなの?
いいふうに受け止めたら、
できなくなってても、別の方面を捉えて、そっちを楽しんだら、
人間としては間違ってて欠陥なの? って、本気で思う。
一般的でない、常識ではない、普通ではない。
うん、そう思いたいなら、それは「ご自由」にだけれど。
でも、そう思わなくていいのもまた、「ご自由に」なんですよ。
つらいことのほうが多いに決まってる!
自分の人生はもう全部、苦しか残ってない!
と見て、希望を捨てていくか、
小さくても、すごく大切でステキなギフトが
私のところにやってきたわ、と見るか。
ま、自分が決めれば、本当にどっちでも、いいのです。
私は、はい、自分にラクで楽しめるほうを選びますってことで。
別にたいした理由も理屈も納得もなく、
ただ、そのほうがいいから、そうします。
腹が立つ人がいたら、ゆるくてごめんなさいね(^▽^;)テヘッ
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あ、別に、ケンカ売ってませんよ(笑)