ふだんはあまり交流のない方から、
ご質問であるかのように、
なぜ死んではいけないのか、というお言葉を、
たぶん、届けられました。
ここで「たぶん」というのは、意図を持って私に
お知らせくださったのだろう、ということしか、
わからない形……であったからです。
詳細は伏せさせていただきます。ご容赦ください。
でも、きっと、私に対して「も」お尋ねになったのであろうと、
私には思われるので、今日はそのことについて、
書いてみたいと思います。
過去に述べたことも、重ねて出てくるでしょうが、
その点はご了承ください。
私は、このブログを始めて以来、
「生きて“いなくちゃ”いけない」「死ぬのは間違っている」
といった断定・確定表現は、使っていないかと思います。
それはなぜかというと、自分が死を迷い、
さらに知人2人がすでに、自死しているからです。
その方たちが苦しまれる姿を、間近で見知っていた私が、
しかも自分自身さえ、一度はそれを選択しようとしていたのに、
「間違ってる!」と声高に叫ぶ資格など、持っていません。
すでにそれを選ばれ、現世的感覚で言えば「仏となられた」方に対し、
私がいったい、何を糾弾できるというのでしょうか。
先に、端的な結論だけ言わせていただければ、
「いいのか」「悪いのか」を決められる人間など、
この世にはいないのだと思います。
そこへ至る事情、周囲の環境、
ご本人の過ごされてきた年月、状態や境遇などは
すべて違うのに、すべての人が納得できる、当てはまる答えなど、
出せる方はいないでしょう。
あるいはたとえ個別対応でも、ひとりの方の人生すべてをふまえる、など
他人はそうそうできないし、であれば、その方に
スッと全肯定してもらえるような判断(他者からの意見)は
やはり、出せることはないと思えます。
ただ。
一度でも、自らを究極にまで追い詰め、最高にいじめる形である
「自分で自分を死に追いやる」という思いを持ったあとだからこそ。
「生きていてよかった」という想いを、普通の人以上に
深く強く実感し、自身の心に沁み入らせる機会もまた、
訪れる可能性がかなり高くなるだろう、と、その点は明確に思えます。
暗闇を知ったあとだからこそ感じられる、
「自分は、生きててよかったのだ、
生きていることは、許されるのだ」という深い想い。
その可能性は、それこそすべての人にあまねく、ありえます。
そして、それが起こったとき、確かに
自分のなかの感覚が、変わります。
何にか、は、わかりませんが、「ゆるされた」というような、
深い深い、解放、です。
そのとき、とは。
たとえば私の場合は、こんなダメな私になったから「こそ」、
また別の形で、他者の役に立てるのだ、と、
はっきり理解しえた瞬間でした。
それは1人目の知人の自死が起こったあと。
会社のなかで、その方に関わっていた人間それぞれが
悲しみ、怒り、苦しんで、自分を責めまくるという、
ある種、異常な状況のなかで起こりました。
私にとっては上司にも当たる、先輩の女性の方とは
お互いの視線だけではっきりと、
私「は」生きている、というその事実において、
心が通じ合いました。
もう1人、後輩の男の子からは、混乱が収まったのちでしたが、
「その苦しみを経験した今の○○さんだからこそ、
僕を救ってくれたんですね」
という言葉を頂戴しました。
そのときどちらも、身体に電流が走ったような衝撃を受けました。
人は、誰かの役に立てれば、心が通じれば、
もうそれだけでも
「生きていてよかった」「生きていいのだ」
と思えるのだ、と、知りました。
深い闇を知ったあとだからこそ、
その「すごさ」と「すばらしさ」を感じられました。
「自分のがんばりと成功」だけがすべてではなかったこと、
本当に私は(こんな私、それしか能がないと思っていた私であっても)、
そんな思い込みの世界に居続けなくてもよかったのだ、
ということを、教えて「いただけた」のです。
これは、誇張でも何でもありません。
つまらない理由、と思われる方も、
いらっしゃるかもしれません。
でも私は、自分を卑下して卑下して、
否定しまくったあとだったからこそ、
人の心のありがたさ、他者の存在のありがたさを、
自分が生きていて「も」いいことを、知ることができました。
それは鬱という病を、私が経験したからこそ知りえたのだと、
私には思えます。
それほどはっきりとした、明確な「腑に落ちる」瞬間でした。
脳みその作動の「狂い」によって自死を願う。
でも、そのあとに、どんな変化が、
何が起こるかは、誰にもわからないのです。
なので、その、本当に究極な自分いじめの選択をする前に。
もう少し、立ち止まってみませんか、と、私は「願い」ます。
死ぬまでの時間は、通常の感覚よりずっと長い、という話は
事故などを経験した方が「記憶が走馬灯のようによみがえる」等、
よくおっしゃるようです。また、死後には必ず意識が途切れる、
という保証もまた、誰もしてくれません。
選択してしまったあと、万が一、どれほど後悔することになっても、
二度と、二度と、絶対に「肉体の取り返し」はつかないのです。
どれほど悔やんでも、死のあとの生、だけは、絶対にやり直せないのです。
もちろん、これも仮定のひとつにすぎません。
でも、実際は、誰にもわからない。ならばもしかして、ではあるものの、
脳みその作動のミスにより、自分をもっともいじめて死を決め、
その最後の死の瞬間を、さらに
「絶対に取り返しのつかない後悔」のなかで
迎えるかもしれないことを、本気で「望まれる」のでしょうか。
死を迎えるときの気持ち、について、
マザー・テレサの書籍で忘れられない話があるので、
長いのですがそれを最後に引用します。
マザーが運営を始めた「死を待つ人の家(ニルマル・ヒリダイ)」は、
行き場のない方々が死を迎えるために連れて来られる場所です。
そこで最後まで、その人の持つ信仰も妨げないように看取られ、
死後にはその宗派による葬儀が行われます。
インドで文字通り、路上などに見捨てられた人たちが迎える死。
そのときの、最後の気持ち。
何かを感じ、考察の一助にしていただければ、幸いです。
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「何十年にもわたって、わたしたちは街頭で人々を助けてきました。その数は、五万四千人にも上ります。そのうち半数の人は、素晴らしい死を迎えました」
素晴らしい死などあるのですか? とわたしは聞いた。
「愛する人を失ったら、寂しく思うのは当然でしょう。でも死は“家に帰る”ことを意味するのですよ」
と、言った彼女はしばらく沈黙し、静かな声でこう付け加えた。
「わたしたちに看取られて死んでいった人たちは、まさに心安らかでした。そのことは人間の生命にとって大きな進歩だと、わたしには思えるのです。安らかに、誇りをもって死んでいく。それは永遠に変わらない真実でなければいけないのです」
若くして死んでいったあのヒンズー教の僧のような苛酷な状況(※)のことを言っているのかと、わたしはマザーに訊ねた。
「ある日、わたしは排水口から一人の男性を救い出しました。彼の体は、傷だらけでした。わたしは彼をホーム(ニルマル・ヒリダイ)に連れて来ました。体を洗ってきれいにしてから、傷の手当をしました。その間彼は一言も文句を言わず、怖れることもありませんでした。『わたしはこれまで、まるで動物のように扱われ道端で生きていました。でもいまは、まるで天使のように死んでいく!』。彼はそう言って、ほほ笑んでいました。ホームに運ばれてから三時間後に、彼は死にました」
数年前、マザー・テレサが話したことを覚えている。ゴミ捨て場に倒れていた女性を見つけたときの話だ。彼女は高熱でうなされていた。しかし、彼女を死に追いやろうとしているのは高熱ではなく、絶望だった。彼女は自分の息子の手で、捨てられたのだ。マザー・テレサは彼女をカリガートに連れて行き、体を洗ってやった。そして、息子を許すように、時間をかけて説得した。彼女は息子を許す気持ちになり、最後には自分自身の心の安らぎを取り戻した。マザー・テレサの腕の中で、彼女は初めて笑顔を見せ、それからまもなく、息を引き取った。最後に「ありがとう」と言ったときのこの女性の笑顔が、どんなに素晴らしかったか。忘れられない笑顔だと、マザー・テレサは言った。
『マザー・テレサ 愛の軌跡』<増補改訂版> p255-256
ナヴィン・チャウラ・著 三代川律子・訳 日本教文社
※注釈をつけておきます。
ヒンズー教の若い僧の苛酷な状況……ヒンズー教の寺院で、
結核によって死を迎えかけた僧がいたが、病院が彼を
引き受けなかったため、寺院のほうではそれ以上、何もしようとしなかった。
そのため、行き場を失った彼はニルマル・ヒリダイに連れて来られた。
マザーに末期の体を献身的に看取られたおかげで、
彼の気持ちは屈辱からやがて平安に満ち、そして亡くなった。
死後には火葬とヒンズー教での葬儀が行われた、
というエピソード。同書のp241に載っている。
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