命を見つめていく話

やる準備をしておかなければ、やられるかもしれない。

そのためには、自衛官の命を「軍人の命」に変えて、使わなければ。

そんな猜疑心やおびえの気持ちには、

どれほどの「被害妄想」が含まれるのであろうか。

 

この国の首相が、記者会見を開き、

わざわざ2回も利用したパネルでの

「民間人(しかも日本人母子の絵!)を乗せた米国艦の護衛」という例、

その「条件設定」自体、

過去にも起こったことがなく、未来にも「まず起こりえない」話である。

 

米国艦はこれまでに、民間人を、自国民であっても輸送したことがない。

そんなことをするとしたら「緊急でかつ、余裕があるときのみ」

というルールが米国では明記されているらしく、

そもそも米国艦が、緊急時に余裕がある、

なんて事態、そのものが起こりえない。

 

ではなぜ、このパネルのようなありえない「想定事例」くらいしか

首相が(というより、首相なのに)、説明できないのか?

その奥にどんな意図が含まれているかのほうを、考えてみてほしい。

2014_07_04_abe_panel

 (写真引用元:毎日新聞 7月1日記事)

http://mainichi.jp/graph/2014/07/02/20140702k0000m010107000c/001.html

 

そしてたとえ自衛隊が軍隊化(アジア版・お節介介入警察化?)しても、

残念ながら自爆テロは防げないのだ。

さらにスイスと日本を比較し、並列に並べようとするのも同じ。

かの国の実情を、Wikiから拾ってみよう。

 

土地続きで周囲を4国に囲まれ、独立までにさまざまな歴史を経てきた

北海道の面積の半分ほどしかないスイスは、

確かに国民全員が兵隊ではあるけれど

それはあくまで長い歴史を経て構築された「覚悟の防衛」。

他国へ戦いにいくほどの軍備は持たないと決めているのだ。

「焦土作戦も辞さない悲壮な防衛努力の一方で、

外国において武力行使をしない柔軟な外交政策は、現在も変わらない」

 

かつ、銃が全員に手渡されやすい制度のおかげで、

「スイスでは自殺にも銃を用いる傾向にある。

自殺者の24%から28%が銃で自殺しており、その割合は

アメリカ合衆国に次ぐ世界2位で、ヨーロッパの中では最高である。

また、特に男性が銃による自殺を選択する傾向があり、

銃による自殺者の95%は男性となっている」(以上、※1)

 

ま、ほかにもいろいろ書きたいけど、私が見つめたいのはそっちじゃない。

サブブログのほうでつらつら、詳しく書こうかとも思いましたが、

すでにツイッターやFBなどで、ほかの方の素晴らしい意見がたくさんあり、

最近、たくさん「いいね!」やシェアをしているので、

よろしければ、見春屋のFBから現状のことについて、

それらの意見を読んでみてください。

全公開にしてあるので、ログインやアカウントは不要です。

https://www.facebook.com/miharuya2013

 

で、あくまで、私が見つめていく方向の話へ移りたい。

2点、例を出しておきます。

どちらも、上記FBでシェアしているものです。

 

1つめ。

敗戦後、新憲法について米国と話し合いをしていくなかで、

日本のトップがどのような意図で戦争放棄を「最終的に決意した」のか。

これを知っても単純に押し付け、とか言うのだろうか?

 

トップ自らが、原子爆弾は悪魔だと気づいたからこそ。

「世界は今、狂人を必要としている。

何人かが、自ら買って出て狂人とならない限り、

世界は、軍拡競争の蟻地獄から抜け出すことができない。

これは素晴らしい狂人である。

世界史の扉を開く狂人である。

その歴史的使命を、日本が果たすのだ」

 

ありがとう。ガンジー氏と「根っこ」が同じであるその狂気、

私は、誇りに思います。

◎憲法第九条『戦争放棄』は、世界史の扉を開くすばらしき狂人、

幣原首相によって生まれたもの!

http://ow.ly/yLtoZ

 

2つめ。

1971年、この歌が発表され、

戦争が起こるたびに、歌われ、伝えられてきた声。

まだこの歌が語る未来の実現は遠いけれど。

 

ガンジー氏、マンデラ氏、マザー・テレサ。

国単位で、国を越えての「平和」の成功例は、確かにあるのだ。

生きている皆、それぞれが、ひとつきりの命を持っている。

地球の大地に「国境」という線など、もともと付いていない。

ぜんぶ「アタマのなかで」考えてる、考えてきたんだよね、人間が。

自分の欲、で。

2000年以上も、個別に正当化の繰り返し。

 

日本語字幕つきの、Toutube動画です。

『Imagine』 ジョン・レノン

リンク先URL

http://youtu.be/M0d_P-QMdNQ

(※1)

引用、解説したWikiの記事はこちら。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%82%A4%E3%82%B9

 

過激? 理想? うん、そりゃどうもです。

この先の自分の一生、悪い予想と猜疑心と

その想像(妄想?)からの怒りを、相手に対し、抱えていき続けるよりは、

こっちの方向を見て「その実現の模索」のほうを選ぶよ、堂々と。

 

他国へ過去、日本が「進出」したことによる、他国からの恨みを、

これ以上、子孫たちにつなげないための模索。

 

たとえば「満州への開拓民」は、

土地を一から開き、人生を作るつもりで張り切って移住してみたら、

明らかにこれまで誰かによって手入れされていたであろう田畑を

軍から割り当てられ、内心では戸惑った、という経験談がたくさん残っている。

それがまだ、今の恨みにつながっているのだとしたら、この先はもうお互いに、

そんな恨みを残さないで済む外交を、民間レベルであっても模索したい。

ODA(政府開発援助)の実績など、こちらが積み重ねた努力も確かにあるのだから。

 

子どもたちの未来の笑顔を守るために、胸を張り、

交渉で相互理解を深める、そういう「勇気」のほうを、私は選ぶ。

それに、現代の国際社会で、こちらが「戦争を放棄した国」であり続ける限り、

相手ももう「挑発」しかできない立場だと思えるから。

日本は「どこかの国の自治州」でないからね、

戦争しないなら、だけど、日本を攻めたら

その非は「相手側」にあるとされることになるんだよ。それがテロであっても、さ。

 

あのありえない想定パネルの絵のように、

本当に人命救助に限定特化した「解釈変更」であるなら、

そもそも最初から一切、反対してないしさ、私。

 

ねえ、でも単純に、今の「放棄している状態」、

これはすでに「立派な抑止力」なんじゃないの?

そこはなぜ、無視するの? あなた個人の心配や不安のほうが大事?

 

新しく人殺しの武器をたくさんつくって、それを売って儲けつつ

(そうなりゃいつか、原発も解釈変更で保護できるわな)、

他国へ人を殺しに「他人を出かけさせて」あらたな恨みを買ってでも、

それで米英仏等と同様にテロを呼び寄せてでも、

かつ、歴史のなかで、各国の都合でだけれど、一応、形作られてきた今を捨ててでも、

あらたに、さらに他人の命(もしかしたらいつかは

自分の身内の命)を使ってでも、

「『悪い想像でおびえる自分』を守る」ほうが、大事?

 

 

 

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