「なぜ私『ばっかり』」のときには

なぜ、私ばっかり……という言葉が、浮かぶのであれば。

 

そのとき、まず考えてみてもいいのは

なぜ 「私がそう受け止めることを選んでいるのか」

なぜ「私がそこにいることを選んでいるのか」

じゃないかな、と思う。

相手の、誰かの、何かのせい、という視点だけでなく。

 

「ばっかり」という言葉を使う段階で、

他者と比較しているし

自分が被害者「のみ」の感覚になっているかも。

なので少し、視点を変えてみてもいいように思える。

 

では……。

逆に、「加害」的なことは、一切していない?

自分の受け止め方が、ある一方向のみに、すでに偏っていない?

その状況、つまりそこにいることを、選択したのはいつ、どんな理由から?

 

上記3つをじっくり考慮しても(紙に書いてみることをオススメする)、

まだ「相手(誰か、何か)が悪い」なら(もちろんそういうことだってありえる)

じゃあ次にどうしたら、その状況、その場所から離れられるか、を考えられる?

 

離れたらどうなるか、そのメリット、デメリット。

「怖い」気持ちも含めての、自分の、今、その状況にいる「選択理由」。

 

その「怖い」は克服できるか。

「今はいったん、仕方ない」とデメリットよりメリットのほうをとるのか。

 

そもそも、相手がそうやってきた理由、あるいは状況がそうなった理由は、

「自分のせい」じゃなければ、ほかにどんなことが考えられるか。

相手の問題を、自分が代わりに解決しようとしていないか。

 

相手を変えたい、または比較して、不満を言い続ける時間があるなら、

その間にやれることも、いっぱいあると思える。

相手を変えるなら、自分もまた「変わる」覚悟が必要なときだってある。

 

私は何も変えたくないけど、

あなたは変わってもらわないと。

 

もし万が一、これをお互いに押し付け合いするのであれば、

相手もあなたも「同じレベル」、

この表現使ってごめんね、もしかしたら「同じ穴のムジナ」かもしれない。

誰か、が対象であるのなら、

なぜ、そんなふうに「相手と同じ土俵」で戦う必要があるのだろう……?

 

そうしたこと自体を、まず、悔しいと感じてもらえれば……と、願う。

あなたは、あなた自身についての『気づき』のきっかけにも、

きっとそれを、使えるはずだから。

気持ちを変える前にまず何より、気持ちを落ち着かせることのほうが

大事な時期だって、あるからね。

 

どうか、いつか新たな「別の視点から」の一歩を、踏み出せていけますように……。

 

2014_09_28

Photo by Photy’s Free Photo

 

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