自分の内側に『生じる感覚』に従ってみる ~その2~

今回の記事、その1はこちらからどうぞ。

◎その1
http://miharu.feeling.jp/?p=2773

 

自分の内側の、そうした感覚を観察し始めると、

その感覚って、あるひとつの考えや思いつきに対して、

1種類でないことも気づけたりする。

 

たとえば電車に乗ったとき。

チラホラ、立っている人もいる程度の混み具合で、でもたまたま、

入れ替わりにあとから降りる人がいて、

自分が立った前の席が空きました、と。

このとき自分が疲れていたら、すんなり座ったりもするよね。

 

で、次の駅で、足の悪そうなおばあちゃんが乗ってきた、と。

はい。

ここで「あ、席を譲ろうかな」と思った自分がいると、仮定してみて。

席を譲る、という気持ち自体は、思いやりなので、

自分の胸が温かく、あるいは柔らかくなる、ホワッとする感じ。

でもこれが「譲らなければ道徳的に間違ってしまう」というような

義務感から発していたら、ホワッとはしないで、ギリッとする感じ、

場合によっては「面倒くささ」にまつわる、重たさ、冷たささえ感じたりもする。

 

さらに、周囲の目線に対する感覚、たとえば気恥ずかしさ、も湧くだろう。

このとき、目線と書いたけれど、まさに他者の注目を

自分が集めてしまうように感じる、想像する。

その目線は、首~顔のあたりに、針っぽいものが当たる、または軽くささる感じ。

あるいは目線でなくても、周囲の人が『耳ダンボ』状態になって、

こちらの会話に聞き耳を立てている『映像または写真』みたいなものを、

一瞬、思い浮かべるかもしれない。

すると胸は少し、ドキドキもし始める。

顔に血が集まるような。足元が少し浮くような感覚。

 

かつ、そのおばあちゃんの様子にも、もちろん自分は注意を払う。

譲ったら、もしかして「年寄り扱いして!」などと

怒り出すタイプではないだろうか、大丈夫、穏やかそうだよな、とか。

相手に怒り出されたときの、自分の不快感、『モヤッとしたもの』も

一瞬、想像するのだ。

 

これをね、ほんの数秒間の間に、私たちは、いっぺんにやる。

行動を起こす「前に」だよ、それも。

自分、相手、周囲に対するそれらの想像を、

自分のなかでリサーチ光線みたいに放ち、

そしていろいろな感覚を味わうのだ。

 

実際、席を譲るときには、周囲がそれに気づくから、

こっちに何かが集まる感じ、するんだよね。

他者の関心や注意をこちらに集めることを『耳目を集める』とも言う。

まさにピッタリ、その通りになる。

 

が、ここで他者が関心を持つのは、ほんの一瞬。

にも関わらず、他人を気にするタイプの人は、

視線や関心が、まるで車両中の全員から突き刺さるかのように

どんどん、自分に集まってきちゃうような気がする(想像で)。

すると、はい、意識しすぎて、気恥ずかしさの勝利。

立ち上がりかけてやめる。席を、譲れなくなるのだ。

そしてそんな自分を、情けなく感じる、

イコールその瞬間、よろしくない色合いののモヤモヤ感が、自分の内側に湧く。

 

長々と書いたけれど、これ、ほんの10秒ほどの間に起こって決着がつくことだ。

10秒、かからないかもしれないよね。

しかも自分の疲れ具合も一瞬ではかる、

足や腰、背中のだるさの程度を、リサーチしているかも。

 

別に、何か行動を起こさなくても。

明るい感じ、怖い感じ、イヤな感じ。

私たちは全部、一瞬で想像して、判断しているのだ。

 

そしてこういうことを、私たちは実は、常に、ふつうに、やっている。

会社で、家庭で、公的な場で、プライベートで。

 

外側の気配って意外に、自分は受け取ってるよ。

そしてそれを内側で感覚的に、判断している。

だから聞いてるふりして実は聞いてない人、をなんとなく判別できるし、

相手の怒りもどれくらいのものか、伝わってきたりもする。

ものすごく怒っている人なんかは、熱くて赤黒い感じのものを、

周囲に放っているように感じる。それを、肌とか感覚的なものも使い、

言葉だけでなく、全体で受け取っているのだ。

 

~さらにつづく~

 

2015_02_21_2

Photo by ゆんフリー素材写真集

 

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