今日2本目の 記事更新
先の話の 続きみたいなものを また書きたくなった
長くなるけれど 分けずに書きたいので 許してほしい
前の話で私は
あなたも また素晴らしくて貴重な 一人である
と書いたけど これ 気休めじゃないんだ
個性があることは 本当に生物学的に 生きていくために 選ばれた仕組みなの
長い長い年月をかけて 生き物は
そういうふうに 変化してきた
遺伝子という仕組みを駆使してね
そして 人間はさらに 協働することで
自分たちを守る仕組みもつくっていったんだ
一人きりで 生きていたら 智恵も生まれなくて うまく生き延びられないから
知識を伝え合い 学び合い
よりすばらしくなるために 助け合うグループをつくっていったんだ
そのために声が発達して言葉になり 表現となり 文字までつくって
問題を解決し 智恵を広め合い 助け合う仕組みを持つことを選んだ
そしてそれを私たちが 社会と呼ぶようになったんだよ
協働するために 個性から生まれる違いをすり合わせするようにもなって
それを 折り合い というふうにも呼ぶようになった
いつの間にか私たちは その関係のなかで上下をつくって
自分のほうが優位に立とうとしたり 優れていると 示そうとしたりするけれど
他の動物たちは グループができたら混ざることもなくなるし
優位を示すのは グループを大切にするときに 代表だけが戦う
つまり縄張りを守るとき だけね
そして 個別に優位を競うのは 次の世代を生み 育てる時期 であって
24時間 365日 他より自分が優れていると
自分の仲間や 他のグループに アピールし続けることなんて ほとんどない
そして同じようにグループをつくる ライオンのような生き物は
自分が上に立った途端に 自分以外の遺伝子を排除したりするけれど
それでは上手に生きていくのが難しいと判断した私たちの先祖は
社会という仕組みを 作り上げていったんだ
協調 協働する 生き延び方をね
なので私たちは 常に他者へも心を配るようにできている
確かに それは生きる上で必須の話であるんだけど
このとき大切なのは
自分を生かしつつ 他者をも手伝うっていう部分
自分も 他者も 大切にしていく必要があるところなんだよ
なのに過去の私みたいに やったあとの結果だけ気にしてたら
他人の目を意識することが行き過ぎてしまったら
やがては 自分のほうを 軽く扱いすぎるという事態が起こる
逆に 自分だけを守り 他者を軽く扱いすぎる人もいるよね
本当の一人きりでは 生ききれないのに
自分をより よく生かすための協調が
自分を貶めることになったり
他人を貶めることになったりしている
皆でともに生き延びるための智恵 そのための頭の働き のはずなのに
自分を あるいは他人を 何かの立場に陥れるための
作戦に変わってしまうんだ
協調を生むはずのものが 争いに変わり
優劣に変わり 力関係となる そうすると
違いがあるからこそ 適材適所で 自分に合う役目を果たしたほうがいいのに
あっちのほうが 楽だ
あっちのほうが 優れている
あっちのほうが 上手い生き方だ
そんな 結果ばかり気にして
そもそも協調できるという事実 協働が必要という事実を無視して
優劣争いだけの あるいは結果だけの 視点になるのだと思える
違いがある以上 もちろん相手とは 合う 合わないはあるよ
でもそれも 本当なら すり合わせする方法を一緒に工夫すればいい話で
お互いがそれを 知っていく必要があるんだ
どちらかだけがやる話ではないし
やったほうが偉いわけでもない
やらなくて楽をするほうが偉いわけでもない
その代わり 私たちは だからこそ
他者と気持ちが通じあったときに 温かい喜びを感じる
そういうふうに仕組みがもう できていると思えるんだ
やってあげてるのに ではない
協働に適材適所があって そのうちのひとつを
あなたは引き受ける そのチャレンジをしているということ
怖くても やってみなくちゃ わからない
楽して儲かるのが偉いわけでもない
楽に感じても 他者の役に立たなかったり
あるいは 誰かの犠牲の上に成立して
自分「だけ」がよいのであれば それはやはり いびつ なんだよ
自分と相手の気持ちを どちらもおもいはかることは
確かに難しいときもあるし 面倒くさいと思う人もいるだろうけれど
人間は そういうふうに できている
ただ そういうことなんだよ
話を少し 切り替えると
この 社会という世界(家族も一つの社会だ)で起こる
お互いの「ズレ」や「食い違い」を描くのが上手いのが
私は宮部みゆきさんの小説だと思っていてね
しかもそれはときにわざと「辛辣な描写」にもなっていて
その「痛さ」言ってしまえば「人のいやらしい面」を
わざとそのまま描き出したのが
『誰か』『名もなき毒』『ペテロの葬列』のシリーズだと 私は感じている
とくに『ペテロの葬列』は そうくるか! と思う流れがいっぱいで
その最後のほうなんて 怒る人続出かも と思ったら
案の定 Amazonの書評では 本を捨てた人も結構いるみたいで……
でもね これ すごく学びになるんだよ
もしこれが 自分だったら? だけでなく
自分が逆の立場だったら? 男女が逆だったら?
自分の愛する人だったら? 入れ替わった立場だったとしたら?
距離のある人だったら?
って考え始めると うーん って唸らされちゃう
愛するがゆえに ゆがんだり 憎みすぎるがゆえに ゆがんだり
そういう相手のこと あるいは自分のこと 実は私も まだまだ
どちらかだけを「大事にし過ぎる」んじゃないかって 気づかされるのだ
また この前 漫画家の羽海野チカさんが
どうやって作品を創造しているかを紹介した
『3月のライオン おさらい読本 初級編』というのを読んでみた
そうしたらまあ 羽海野さんたら 全登場人物にそれぞれ 個別に憑依して
セリフや流れを 山のようなアイデアから絞りまくって描かれていて
ギリギリ入るまで 膨らんだモノをときに凝縮させたりもして
話を創っていく方らしい
そんな打ち込み方ができるのは 表現者のサガ だとも思えるのだけれど
めちゃくちゃ苦しくても めちゃくちゃ楽しくて
だからこそ 続けていられるのだし
しかも そこまで読み手に心を配るからこそ
こちらに届くものも 大きいんだと思えた
直接の人間関係だけでなく そういう心の配り方もあるんだよね
そのために羽海野さん 入院までしちゃったそうなんだけど……
そこまで突き詰めるのは ある種の やはり「人としてのいびつさ」であり
だからこそ 天才と 呼ばれるんだろうな と思えて
こちらもまた うならされたのだ
自分と他人 両方を しっかり喜ばせても
そのためだけに 自分を延々 酷使したら
やっぱり人は 壊れるようにできている
それをやり続けるために さすがの羽海野さんも
連載ペースを 落とされたらしい……
何が言いたいかというと
こんなふうにも私たちは 自分と他人の「視点」を知ることができるよ
想像することができるんだよ っていう話
人のふり見て 我がふりを直せるのって
実はそれだけ脳が発達してて
脳だけでなく 心が 感受性が発達しているからこそ できることで
人間って すごいようにできているな
他者をおもいはかる仕組みを持っているんだなって 改めて思えるのだ
そして適材適所で お互いが楽しめたら そういう関係を作れたら
本当に幸せだよね と……
個性があるからこそ 尊くて
個性が強すぎたら 調整もして
でもその個性を 自分の分も 他人の分も
折り合えるように 大切にしていく
どちらかだけに 偏るのでなく
どちらかだけを 卑下するのでもなく
どっちも大事にするように そして適材適所になれるように と
私たちは すでに 仕組まれている
だから今 どちらかだけに偏っている人は
足りないほうを もっと大事にできるようにしたほうがいいと思える
自分の気持ちも 相手の気持ちも どちらも
本当は大切で必要なんだよ 私たちには……
しかもね 適材適所になれるように
ならして平均的に まとめてしまうのでなく
個性だけをアピールするのでもなく
理解して 上手く使って
自分自身を 相手のことを 楽しんで見守れるようになってほしい
そのために いろいろなモノや出来事から
ヒントを得てほしいなと 願う
あなたの 他人とは違う部分も
また他人が あなたと違うということも
どちらも すごく上手につくられていった
私たちの 仕組みなのだ
身体の不調さえも やっとペースを落とせた羽海野さんのように
自分と相手のための 何かの新しいきっかけに なりうるのだから……
Photo by luxt.design ID: 201308311200
GATAGフリー画像・写真素材集 4.0
『ペテロの葬列』
宮部みゆき 集英社 ¥1944(税込)
http://www.amazon.co.jp/dp/4087715329
『3月のライオン おさらい読本 初級編』
羽海野チカ 白泉社 ¥700
http://www.amazon.co.jp/dp/4592140028