○○する、○○になる、なんて……

前回の記事で、自分の状態について、

やわらかく「ある」ことも、

自分のために選んでいいよ、と書いた。

 

たぶん「何言ってんだよ、そんな気持ち、今、なれるわけない」と、

反発する人もいるかな、と思いながら書いたのだけれど。

 

気持ちが変わらなければ、自分をやわらかくすることなんてできない、

やわらか、なんて、今の問題を抱えていたら絶対無理。

もし、そう感じている方がいるならと思い、今日は書きます。

やわらか、をひとつの例として扱い、もう少し。

 

まず。本当に物理的に「身体をほぐす」やり方で

自分をやわらかくすることに対して、

すごく抵抗を感じるという方は、少ないと思う。

 

マッサージを誰かにしてもらうなんて、あり得ないとか、

お風呂に入っているときに、身体の力を抜いてリラックスするなんて

絶対に許されない、と思う人は、ほとんどいないはずだよね。

 

マッサージだって、知らない人に触られるのは嫌だとしても、

気心の知れた人だったら、また、肩や手のひらを優しく揉むくらいなら、

たいてい、だいじょうぶなんじゃないかな。

 

この「肌に何か触れるものによって」自分が力を抜くことって、

発熱等で、血行を良くすることが身体にとって負荷が大きすぎるなどの場合を除いて

単純に、自分をやわらかくしてあげられるということは、

ご理解いただけると思う。

 

では、なぜそのときは、やわらかくする「許可」を、

自分に与えることができるのだろう?

 

意味、わかるかな。

なぜそれが可能かというとお湯や、身体への優しいタッチが、

あなたの抱える問題と、何ら関係性がないから、だよね。

 

もし万が一、お湯に浸かることで今の問題が増幅するなら

今日は入浴しない、と選択するだけで済む。

 

お湯そのものは、別に悪いものではないし、

それを使い、自分が身体の力を抜くことも、別に悪いことでない。

単純に、そのとき『力を抜く』、という身体の状態を、

味わうだけの話だと、あなたははっきり、わかっているはず。

 

だったら、前の記事で例にあげたような、

プリンやガーゼや羊毛などを自分の中にイメージしてみることは、

何か、とんでもない問題を引き起こすのだろうか?

 

イメージによって「やわらか」な『状態』を作ることは、

あなたには、許されない、あるまじき行為?

 

もし万が一、そこまで……誰かに命令でもされるなどひどい制約を受けて、

考える内容のことまで縛りを受けているなら、

今、私のこのブログを、落ち着いて読めてないはず。

 

やわらかなイメージをすることで力を抜く、

その『状態』と、あなた心の中の『問題』は、

お湯と心、の場合と同じように、本当なら関係性、特にないよね?

 

ではなぜ、そんなこと『できるはずない』、

いきなり可能、不可能、などと、捉えるんだろう?

気分が暗いときには、身体の力を抜いちゃいけないのだろうか。

 

ここから、さらに私は意識して、必要な方に伝われば……と願いながら、

言葉を書いていってみるよ。

 

そんなこと不可能、と瞬間的に捉えてしまった方へ。

まさに、そうした反射的な捉え方が、今のあなたの、

思考のズレ、視点のズレ、の、ひとつの「現れ」ではないだろうか?

 

やわらかなものをイメージすることで、

自分の身体の力を抜くという『状態』は、

あなたの心の中にある問題点と、本来なら関係はない。

でも、あなたはとっさに、結びつけてしまった。

 

もしかしたら他にも、今、別に問題とはつなげなくてもいいことまで、

いちいち自分でリンクさせてから、

捉えがちになっているのかもしれない。

その可能性、私には、あると思えるよ。

 

違う!

そんなふうにリラックスしてる場合じゃないんだもの!

という方には。

 

もしかしたら、そこまで思い詰めるからこそ、よい解決策が生まれない、

それほどまでに自分で、

自分の視野を狭めすぎている可能性があることも、伝えておきたい。

 

さらに。

そんなアイデアレベルとか、思いつきで解決できるような問題じゃないよ!

という方へ。

 

ならば、今のように苦しみながらその問題だけを抱え、見つめ続け、

何も、身体の状態すら変えずに、いろんなものを

問題とリンクさせまくって、嫌な思考と苦しみを続けていけば、

いつかその問題は、解決するかな。

 

脳の快、不快を司る物質を調べている研究者が、

先に「わざと」笑顔を作ることで、身体が反応して『快』の物質を

呼び起こし、その結果、本当に気分が良くなって、

わざとでない笑顔も浮かべるようになるということを、論文で発表してるよ。

 

たとえ鬱のど真ん中でも、たまに入る風呂(たまにしか入れないよね)で

風呂場から出た瞬間、サッパリした感じを一切、感じないという人は、

そんなに多くはないと思う。

そのとき、瞬間的にでも、問題点からは、意識が離れるよね。

 

問題点から自分の注目がそれて、

快、の感覚を、身体に負担をかけることなく味わえたら、

それは、暗い状態の脳みそにも効くことは、知ってるよね。

脳みそも、自然に、別の思考ルートを、つなげられるかもしれないよね。

そうしたら、今の苦しいだけの視点を、少しすつでも、外せるかも。

 

その可能性があるなら、たまには、やってみてもいいんじゃない?

条件反射的な理屈などは、つけないで。

それとも、イメージして何か損でもする? 時間とか、かな?

あるいは効くはずないって、決めてかかる?

では、高価な薬なら、OKなのかな?

 

こんなふうに、関係ないもの同志を、今は私、いきなりつなげちゃうのか……、

何で私、とっさに反応しちゃったんだろうな? など、非難でない形で、

自分の思考パターンを淡々と、遠くから眺めて、

自分に静かに問いかけてみることは、

いずれ、あなたの役にきっと立つだろうと思うし、

ネガティブオンリーの思考回路から、自分をはずしてみて、

たとえば身体の『状態』に注目してみることは、

自己の気持ちを単純に切り替えることにも、つながると思うよ。

 

風を感じる、でもいいし、夕焼けを眺めてみるのでもいい。

今の思考パターンとは関係ないことを味わう、という意識を、

自分の中に作り出してみることくらいは、

自分に許してあげても、私は、いいと思える。

 

よかったら、できる範囲で、やわらか、や、ゆるやか、を味わうことも、

意識して、自分に許可していってね。

 

その選択を自分にしてあげられるのは、あなた自身だけだから。

 

2015_03_16

Photo by aronho
ID:201409111500
GATAG フリー画像・写真素材集 4.0

 

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