出来ていないと自分が捉え それを 数えすぎていて

○○したいのに

△△にならなくちゃいけないのに

□□でありたいのに

って 今の自分の 苦しいところばかりみてさ

なぜこんなに人生は辛いのだろう?

って そりゃ そうならないかな

出来てないことしか

持ってないものしか

数えることをしないなら

視点は 苦しさカウント オンリーになっていくよね

なぜ その視点に『自分が陥るのか』は

どうしても考えたくない?

劣っている自分 その設定自体が

すでに何か 違うという『事実』は

見つめ直そうとは思わない?

そこは触りたくないのよ 怖いから

わかりやすく 自分が持ってないものだけ 見つめたいの

それでね でも本当は 苦しいの イヤなの

という論理展開が

何か ズレているってことは

自分でも 感じられないかな?

真実は 私もそれやってたから 言えるんだけどさ

持ってないと感じられるものを 得ようとして

その向いてる方向は ズレたまま っていうことだけ なんだよ

そりゃまあ それで

どんなに『何かしよう』と もくろんでも

どんなに実際『何とかしよう』と 頑張っても

ずっと ズレたまま だよね

最初のボタンを掛け間違えたまま

そこは触りたくないの!

見たくないの!

って 

最後のボタン(実際に何かしようとする)ところだけ

つじつま 合わせてみようとしたところで

どうやっても いびつな シャツの着方になるよね

何がなんでも 一番上のボタンは 触らないままでいたいという

その怖さもまた わかるけど(鬱ならなおさら そう感じられるしさ)

でも実際に起こっているのは 自分の内側での

単なる ボタンの掛け間違い なんだよ?

まるで 一番上のボタンが

何かの 爆発物であるかのように

思えているかもしれないけれど

いいえ それ 他のところと同じ

『ボタン』ですから 本当に

確かに 飾り用にね まあ

ちょっとだけ 大きかったりは

するかもしれないけれど

そここそがワンポイント 個性を醸し出す

おしゃれな飾りボタンだったりするわけで

自分の一番上のボタンの

デザインや大きさを知ることができたら

もしかして号泣しちゃうくらい

うれしくてステキなものだって

わかること できると思えるんどけどな……

なぜか自分が

一番上のボタンの掛け間違いだけ 完璧に無視してさ

なぜなの?

なぜシャツやコートがいつまで経っても

私はスッキリと着られないの!?

って 言ってるのだとしたら?

ただ それだけだったとしたら?

その掛け間違い 直したくならないかな?

それに あなたの視点のズレ

そのどこが ズレているのか知るためには

間違えたボタンもまず 外してみないといけなくて

そのためには 結果的に

服のボタンを一度 全開することになるから

ドキドキするのも わかるけれど

全開しても 普通にちゃんと止め直せるし

今度は一番上から 順番にさ

『何か具体的にしよう』って位置の

一番下のボタンまで

スッキリつなげられて

スッキリ止め直せて

あなたの人生 という服を 

楽しめると思うよ……

一番の前提のズレ に

いつか あるいはそろそろ 

無理ない範囲から 気づいてみてね

あなたの服は

あなただけにバッチリ似合う

とってもステキなものだよ

あなたが自分を 見ていないだけで

そのシャツ 本当は

すごく似合っていて ステキなのに

一番上の 大前提の 掛け間違いである

自分を疑い 信じないこと と

自分は何も持っていない 

何もうまくいかない という思い込みこそが

あなたが自分らしく ダメなままでいるための

必要不可欠な 絶対条件みたいになってるよね

それこそあなたは それをいつから

信じ始めたのだろうね……

 

2015_03_31

Photo by epicantus
Pixabay

 

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