自分のための「明かす勇気」

最初にお伝えすると

ひとつめで例に挙げるのは「見春屋」等でのことではなくて

他人とのつきあいのうえで実際に起こり得る

『片側からだけの答え探し』についてのたとえ話ね

 

ただ 最初はそれを 

カウンセリングの場であると仮定して 例にしてみるよ

 

誰かが 相談しに来たとする

 

こんな状態 イヤなんです

抜け出したいんです

苦しいんです

私は他人を 気にしすぎるんです

 

という気持ちをこちらが聞かされたときに

そうか 他人が気になるのね こういうふうになるのかな

ならば どういうふうに あなたはしたい? と 尋ねると

具体的にはどうしたらいいかというところまでは わかりません となる

 

じゃあ たとえばね こういうふうな人もいるよと 例を出して 

こんな状態に近いかな こんなふうにできるんじゃないかなと伝えたら

それはその人だからできるんです 私には無理です できません となる

 

話をボヤッとした部分だけ ざくっと 説明してくるから

こちらも それに合わせて大枠で ざくっと捉えるしかない場合

そこから導き出せそうなことを話してみると

そうだけれど 本音は そういうのではない 

しかもそれは 私にはできない と返事をされてくる可能性は高くなる

 

教えてもらえるのが大枠だと ズレも起こり得るから

うん そうなのか

私が捉えた方向というわけでもないのね

ならばあなたのことを もう少しきちんと

自分のどこがどうか 向き合って 詳しく教えてくれる?

と尋ねると

こんな自分のバカな部分 恐ろしくて恥ずかしくて情けなくて

人に打ち明けることなんて できません

となる……

 

自分についての詳細は 恥だから絶対言いたくないけど

ピンポイントな答えは欲しい ってことなのかな?

 

はい だってあなたを ものすごく信頼してからでないと

私は何も 話せないもの

あなたを信じていいと 私が納得できたら

あなたに私のことも打ち明けられるけれど……

 

カウンセラーは あなたの気持ちに どんな背景があるかを 

共感しながら聞いて 整理のお手伝いをする

でも 打ち明けてもらえなければ

質問する側の人が ひたすらクイズのように 小さなヒントから推測して

あなたから信じていいと思ってもらえるまで 自分のことも 開示しまくりつつ

あなた向けの『当たり』が出るまで 片っ端から総力上げて

答えになりそうなものを全部 並べていく という形しか なくなっていく

 

それ 何時間かければ あなたに信頼してもらえて

あなたを あなたが恐れているようには責めないと 信じてもらえて

何時間かければ あなたが整理できるようになるための

きっかけのピンポイントな言葉 当てられるのだろうね

 

あなたはカウンセラーをひたすら

『自分にとってどうか』採点するだけになるから

いったい いくらの お金と時間をかければ

自分にとって『信頼できる』カウンセラーから

『ピンポイント』な気づきのきっかけを もらえることになるのだろうね

 

この話で わかるかな?

カウンセラーに限らず 他者がいろいろ自分のことを こちらに開示するまで待って

自分のことについては 本音を打ち明けない

表面は なんとなく取りつくろえたとしても

いつも本心は 打ち明けない

なぜなら 自分のことがばれるの 怖いから……本音は 伝えられない

 

もし いつもそういう感じなら わかるかな? 

なぜあなたが 人間関係 難しくなっているのか

気持ちを言えない その 他人を信じられない 根っこの部分に

あなたがあなたを信じていない問題が 大きく横たわっていることが

 

相手が悪いとかいう以前に

自分を嫌って 恥の塊の人間だと決めつけて 否定するからこそ

他人のことも また よほど相手側から開示してくれない限り

本当には 信用できないんだってこと

 

そして他者の側も普通はさ

自分のこと 開示してくれない人のことを すぐに

この人信頼できる! と見抜けるとは 限らないよね?

というか通常 それは難しいよね?

 

カウンセリングという場に おいてさえ

できるだけ自分の事例に沿った ピンポイントな示唆をしてほしいなら

あなたもまた あなたの情報を 相手に伝えていかなければ 時間がかかる

あなたがどんなふうに自分を否定しているか

そこを打ち明けないと カウンセリングの方向性も見えないの

 

あなたが自分の嫌いな部分を

なぜどんなふうに嫌っているか

『自分がいかに自分のことをダメ人間だと捉えているか』

整理するために開示するとね

そこからやっと 次 が始まるの

 

短所と長所は裏表って 前の記事でも話したよね

あなたが短所だと感じていることを打ち明けたあと

打ち明けたから やっと その『短所の裏返し』

つまりあなたの良いところ探しが できるのよ

 

否定している自分を延々 隠し続けていたら

人を信頼する 人から信頼されるチャンス

ものの見方を変えるチャンス

それらを失う可能性 増やしていく一方だよ?

 

もうひとつ 例を挙げてみようかな

たとえば 小学校低学年だったあなたが 親から 

赤い服を たくさん 着せられていたとする

それをクラスのイジワルな男の子が

赤い色って 危険な色 やーい 赤信号 危険人物~!

などと はやし立ててきたとしようよ

何度も何度もやられたら 自分がお気に入りでない限り

赤い服はだんだん 着たくなくなるよね

 

赤い色は 危険な色

赤い色は イジワルされるイヤな色

そうやって 嫌いになるかもしれないよね

 

そして あるお休みの日に 赤い服を無理やり着せられて

遠くの街に お出かけしたとしようよ

 

そこでバッタリ会った お母さんの昔の友達が

子どものあなたを見て

まあ なんて真っ赤なお洋服!

と言ったら?

 

その瞬間 あなたにはそれが

悪口 にしか聞こえないこと ないかな?

あらかじめ あなたが 悪く捉えていることを言われたら

悪口をまた言われたと 思わないかな?

 

もしかしたらその人は その赤い鮮やかさが とてもあなたに似合っていて

あなたがとてもステキな子に見えて

それで そう言ったかもしれないのに

 

あなたは また悪口言われた また他人から否定された

って受け止めるかもしれないよね?

 

そうなのよ つまりね

あなたの過去に起こった

他者からの非難という 悪い出来事の

あらゆる すべてが 

あなたに対して 完全なる悪意を向けて発せられたものでは

本当は なかったかもしれないってこと

 

赤い服の話ほど 単純ではないかもしれないけれど

あなたも事前に もしかしたら 赤色 ダメな色 という感じの偏りを持っていて

相手が全然 違う意図で話していても

全部 その偏りに結びつけて 

ひどいことを言われた と 捉えていたかもしれないのよ

 

本来であればそこで え? 赤い色 ダメですか? って尋ねてみて

相手がどんな意図で話したのか 聞かせてもらってもいいのだけれど

赤い色=悪口を言われる色 で思考がもう固まってしまっていたら

そんな質問さえ 思いつかないかもしれないよね?

 

ああ まただよ また否定されたよって

そのことでもう自分の頭 いっぱいにしているかもしれないよね?

 

そういうのをさ 私がこれまで

『ある一方向だけからの捉え方』と 言っていて

だから もしかして

それだけしかないと『これ以上』決めつけなくてもいいかもしれないよ? って

あなたに 尋ねているわけなの

 

さらに よ もしかしたら 大人になってからの同窓会で

赤い服のことを はやし立ててた男の子から

あのとき お前のこと 本当にうらやましかったー

うちの母さん モノトーンの服しか 着させてくれなくて

赤い色の服って 戦隊もののヒーローみたいに格好いいと思っていて

なのに絶対 着させてくれなかったから

どれだけお前のこと うらやましかったか!

なんて 話されてしまうかもしれないよね?

 

自分もまた 偏っていたかもしれないこと

それを今でも 引きずってしまっていること

他の見方も 実はしてよかったこと

 

そういう点に気づくためには だから向き合ってみる必要 あるのよ

自分のイヤな感情 感覚 そのときの過去の出来事とも ね

 

自分は 赤い色のことを 悪く思っていると自覚して

相手の意図を きちんと質問してみるか

あるいはそういう自分であるのが嫌なら

そんなことを引きずっていると 誰かに明かすなどして

自分の中でハッキリさせて

 

そうしてみることで 次に

本当に それしかないのか

赤い色には 他の捉え方 ないのか

トマトの色 バラの色 お日さまの色 

愛を 暖かさを感じさせる色 

力強さを表すヒーローの色

そんなふうに捉え方を変える練習も できるようになるよね?

 

たとえばその整理を手伝ってくれるのが

本物のカウンセラーさんだったりするしさ

あなたの意見に迎合ばかりせず ときには違う見方についても

静かに意見として伝えてくれるのが

本当の意味での よい友達になれる相手だったりするんだよ

 

問答無用で ハナからあなたが

恥だとか 悪いことだとか

情けないとか 格好悪いとか

そうやって『今までの』自分の感覚だけで 起こったものごとを 決めつけすぎないで

書き出して整理してみるとか

自分がこう感じるってことを 信頼しようと思った人に

真摯に打ち明けてもいけば

相手もまた 飾らずに 自身のこと 私は別の視点で言ってたとか

きちんと打ち明けてくれたりも するんだよ

あなたが真摯に ていねいに 静かに打ち明けるからこそ ね

 

そういう機会を 今まではもしかして 逃してきたかもしれないけれど

あなたもまた 勇気を出して打ち明けることで

赤色の 別の 素晴らしい面 みたいな 違う視点にも気づけるかもよ

そうして実際に 自分のまわりの世界が 変わるかもしれないよ?

 

私が鬱からの回復で学んだのは そういう感じのことだった

ものすごく勇気の必要なことまで 明かしながら整理していった

だから 実感として『世界が変わった』感覚を 今でも覚えているくらいなの……

 

自分が 自分のために整理していく

それは決して恥ではない 自身を大切にするための勇気

それは あなたのための とても大切な勇気

 

だから どうか いつか

その勇気の一歩を

あなたが 踏み出せますように

心から 祈ります

 

2015_05_03_1

Photo by realworkhard
Pixabay

 

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