○○ができてない……の、気持ちのあとに

○○ができない、できてない。

こういう気持ちが湧いたときに、自分を責める人、いるよね。

このブログを読もうとしてくださる方には多いかな、と思う。

 
○○できない。

だから、私はダメなんだ。

いっつもこんなだよ。

あのときも、あのときも、そう、あのときだって……。

 
そうやって、自分を責める材料となる記憶にばかり、

自らアクセスしていく。

 
でもね。

その「だから」のあとを、さ。

いつも同じパターンだけにしなくて、いいんだよ?

別の捉え方につなげてもいいよ?

 
○○できてない。

だから……、

だからこそ!

 
今はいったん、そこまでの無理はしないで、

自分が少しは楽しめる、こっちのほうをやろう。

 
そういうふうにも『切り替え』ていいの。

 
ん? そんなの、逃げになる! って?

じゃあ、自分を責め続けたら、一直線に短距離で

その何かが立派にできるようになるの?

 
そうじゃないこと、自分がよくわかってるんじゃない?

責めれば責めるほど、嫌気も差して、ダラダラとした努力しかできなくて。

結局、遠回りしてない?

いったん間を置くことで、やる気が戻ってサクッとできるかもよ?

 
そもそも本気で、楽しくて、うれしくてやっていることなら、

どうせいつかまた、すぐにやりたくなるよ。

そうならないなら、何らかの義務で無理やり自分に言い聞かせているのかもよ?

 
よくさ、そんなふうに逃げられるものではない、とか、

大上段に構えて、自分に説教かましていたりもするだろうけれど、

なぜイヤイヤ、やらなければいけないの?

やりたいこと、だよね? ならば楽しんでやれる方法、

ほかにももっと、いろいろ試してみてもいいんじゃない?

 
それにさ、ねえそれ、本当にやりたいことなの?

見栄だけじゃないの?

格好つけたいだけじゃないの?

達成したときに評価を受け取りたいだけじゃないの?

 
ほら見て、私はこんなに素晴らしいのよ! 

見て見て! 受け取って! 受け止めて私をほめて! って。

 
そんなやり方でわざわざ自分をPRしなくても、

あなたには良いところ、たくさんあるよ?

それを見ないことにしているんじゃないの?

あなたにとっての当たり前は、他の人には当たり前じゃないかもよ?

 
しかも、そのタイミングで相手がしっかり受け取ってくれるかどうかは、

全然、わからないよね?

相手の体調が悪かったり、仕事がたいへんで気持ちに余裕がなかったりするかも。

 
あるいは自分で自分をたくさん、認めてあげたいから、ならば、

何かを為す、成すことだけが、そのための手段ではないよ?

なぜそこにしがみつかないとダメだと思い込んでるのかな。

 
そして……。

さらに言ってしまうけれど。

そうやって自分を矯正、または強制していく結果。

逆に達成すればするほど、偽善的になって自己満足しか見なくなって、

達成できていない人を見下すイヤな人間になっていく可能性もあるよ?

 
これは悲しいけれど、ある種の事実。

物事には必ず光と影があるから、そういう『自慢の心』のゆがみが

残念ながら増幅する人もいる。

わかるよね? 心当たり、あるよね?

私もきっと、昔はもっと傲慢だったと思うし……。

 
だからさ。

できない、と自分を責めているとき、

あなたのものの見方はとても偏っていて、

それしかないと信じ込んでいる『だけ』かもしれないことを、

どうぞ、心の奥のほうに留めて置いてね。

 
もし、今がつらいなら。

どんなに小さくてもいいから、

『できたこと』も、毎日、きちんと数えていこう。

できないことを責めるより、できることをほめるほうが、

少しでも、できることを楽しむ意識を高めていけるほうが、

結局、あなたを「早く」変えていけることになると、

私には思えるのです。

 

2015_07_27

 Photo by blickpixel
Pixabay

 

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