自分の思考が『物事を自分にとって悪く捉える』になっている場合、
いいか悪いか、どっちとも受け取れるような状況(一瞬、自分が
どう解釈していいかわからないときとかね)
においては、毎回、ほぼ、相手に悪意がある、と取る。
そのうち、その相手が楽しく笑っている場面でさえ、
まるで当てつけるかのように笑っていやがる、いい子ぶって、
などどいう、とんでもない方向へ自分の思いが進むのだ。
相手が、ただ、笑っているだけなのに、
あなたが勝手に、そう解釈する。
そしてそれこそ、相手に当てつけるかのように
ツンツンした態度を取るようになる。
ねえ。
物事を、そんなふうに解釈しているのは、他ならぬあなただよ。
相手が悪いのでない、相手は単に笑っているのだ。
逆のことやられたら、すぐ気づくでしょう?
そして『なんてさみしい、あるいはさもしいこと考えてるのだろう』って、
思えるでしょう?
ならば、あなたが、同じ土俵に立つのをやめなよ。
たとえ相手がそれをやってきたとしても、
あなたが相手と同じ穴のムジナになる必要、どこにもないよね?
物事を、悪いほうに受け止める練習ばかりしていると、
こういうことがたくさん起こるようになって、
ますます自分が苦しくなるんだよ?
相手がどうこう、だけじゃないよ。
あなたもまた、どんどん、周囲の状況を悪く解釈して、
そんなことしたら、解釈されるほうも当然、不愉快になるから、
それこそ本当に、状況自体も悪化するんだよ?
自分が自分を嫌っていると、
世界があなたを嫌っているかのように見えてきて、
その証拠もどんどん集まるように感じられるのは、
結構、こういうからくりなのだと、私には思える。
だから、何度でも言う。
何かを何とかしてどうこうすることで、
問題を解決しようとするよりもっと前に、
あなたが自分を嫌っていること
それに対する解釈を変える練習することのほうが、
絶対に先なんだよ。
自分を好きになり始めたら、気づくよ。
世界は、あなたに実は、結構というよりかなり、
優しくしてくれてたんだってこと。
あなたが自分の状況を変えたいなら、
あなたが自分を嫌うのを、
あるいは嫌っている部分があるのを変えることから、始めるしかない。
立派になれとか、達観しろとかいう話でもないよ。
ただ、自分が楽になれるのであれば、
それはそれでうれしくて、つまりは幸せな話じゃない?
なら、そういう物事の見方、捉え方を
練習してみていいんじゃない?
そのためのきっかけに必ずなる、と言えるくらいな気づきが、
自分が嫌っている自分、
あるいは自分の内側の『気に入らない部分』に
潜んでもいるんだよ。
結局のところ、問題って、そこのところをわりと必ず、
通過するものなんだな、と、最近の私には思えるのです。
なぜやったらダメなんだろうね、そういう方向の、気づきの練習。
あなたを怯えさせているものの正体、つかんでみたら?
それもまた、ただのきっかけ、なのだから、使ってもいいんじゃない?
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