他者に認めてもらいたい人も、
他者にひどいこと、しまくる人も
『表面的にやってること』は逆の方向なんだけれど
結局、自分をそうやって痛めつけておくほうが
安心できるのだと、信じられているから
その方法でやってるんだよね……。
と、またもや、
うおぉ、これはキツイこと選んでるね、
という記事を見つけたので掲載してみる。
前のものと並べてみようかな、そうすると、よくわかるかも。
まず、今日見つけた記事。
◎心屋仁之助さん
■信じれません。そしてムカつきますます。
http://amba.to/1IgAHPX
で、前にも紹介した、これね。
◎「14歳でAV女優を志した」さんまもハマったAV女優・紗倉まなが抱える闇
http://ow.ly/QsKjY
(URLを短縮しています)
どちらも、自分のことなんて実は、視野に入れてない。
他者が自分をどう思うか、だけしか見ない。
その視野を自分がわざわざ選んでるのだってことにも「気づきたくない」感じが、
伝わるかな?
自分が自分のことをどう思うか
その視点のはるか『前側』、他者の態度だけを見つめて、
自分がやったことに対する他者の反応、その後の自分の対応しか見ない。
そこだけを見て、感じて、考えて、必死になって、あれこれやってるの。
わざわざ『前側』と書いたのは、
確かに人は、その部分だけで「対応していく」こともできるから。
そこだけ見ていても、十分、自分のやることを決められて、
右往左往できるのよ、生きていく上ではね。
で、絶対と言えるほど、見ないようにしてるの。
なぜ自分は、それを選ぶのか
という部分をね。そこには、触れようともしない。
だから『自分を大切にする』ということも、
もう感覚的に「意味不明でわからないこと」になってしまっているのかな、と、
この記事の方々に対して、私はそう思えるの。
伝わるかな。
どちらも『私を見て! 注目して』のPRなんだよ、これ。
なぜそうするかというと、苦しいからなのに、
それすら気づきたくない、怖くて。
なぜ自分をわざわざひどい方向へ酷使して、
ひどい状況を自分からあえて作り出すのか。
自分が苦しくなることばかり、自分からやりたくなるのか。
これ、オーバードーズやリスカにもつながる視点だけれど、
そういうこっそり一人でやることも含めて、
『これをやる私って、なぜそうしようと感じるのだろう』
ってところを、怖くて見つめられないのだろうと思う。
あのね、その怖さ自体が「思い込み」なのよ。
絶対に見たらダメ、みたいな、幽霊や妖怪、お化けのような圧迫感、
表現できない恐怖を感じているだろうけれど、
本当にそれ、お日さまの光に照らしてみたら、
ただの枯草の塊みたいなものなの。
『過去の記憶から選んで積み重ねてきた、お化けのように思えてきた』、
でも実は『枯草の塊』の決めつけ。
だから、勇気を出して他者にばっかり働きかけるのではなく、
そっちの方向ではなく、
勇気を出して、ひもといてほしいのは
自分に対する気持ち、その部分。
今の状態や、他者に対する状況を何とかしていくことじゃないよ。
それ、すごく『前側』で起こっている感情であり、
反応であり、対応、対策なの。
そういう枝葉末節、葉っぱしか見ないのでなくて、
幹の内側や、できれば土の中の自分の根っこを見てみたら、
それこそ、今まで全然知らなかった世界が始まるよ?
今日のあの記事、あの投稿を、わざわざ取り上げて、
相手に伝えようとしてくださっている心屋さんの気持ちに触発されて、
その温かさに感謝したくなって、私も勝手に、話しかけます。
今、苦しいあなたが見つめているそれ、
『すごく前側』の部分だけになってるよ。
向いている方向、
見ている視野、
それ自体が、前側のみになっているの。
そればっかり選ばなくても、
本当に本当に、本当にあなたは、だいじょうぶだからね。
どうかいつか、今とは違う勇気を、出してみてね。
Photo by RickToxik
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