あんなことがあったから……

あんなことがあったから

あんな目に遭ったから

あんなことをしたのだから

 
ゆえに

私は 幸せになっては「いけない」とか 

私は 幸せになれないに「決まっている」とか

また絶対 あんなことになるに「違いない」とか

 
それって全部 過去の記憶から自分が「そう信じることにした」だけの話だよね

 
過去の記憶というのはあくまでも

「そのとき それ自体を 自分が こう解釈した」

という 話なのだけれど それを

絶対

だと思い込むことに決めたんだよね?

そういう方向を選んだのは まぎれもなく 自分だよ

 
寝たきりであっても 毎日幸せで 感謝にあふれてもいいし

ホスピスにいても 心穏やかで うれしさを感じてもいい

 
そういう人と 実際に 私は 話をさせてもらったから

今を見て その今の自分を どう解釈するか は 

自分が選んでいいのだと 思えている

 
私ね 星野富弘さんの画集を いちばん最初に見たときのこと

今でも 覚えてるのよ

 
その画集の表紙には 車いす生活の話などは 何も書かれてはおらず

ただ「星野富弘の画集である」と わかるだけ の体裁だったの

 
私は あの 素朴な絵のなかに 力強さを感じて

「へえ 絵手紙かな なんか気になる……」と思って 

その画集を 手に取ったのだ

 
言いたいこと 伝わるかな?

自分が惹かれるものには 普通に 勝手に 惹かれるの 

自分の「感覚」と彼の「車いす」には 何も関係などないのよ

 
ましてや

今の自分

を表すのに あなたの背景も過去も 別に必要ないのよ?

それこそ あなたの容姿や性格のことさえ 関係ない

 
今を 自分が どう感じて それを 自分で どう解釈して どう扱うか

すべては それの 連続であるだけ

 
「あなたが見る」世界は あなたが「そう解釈してる」んでしょう?

そのことは なんとなく わかるよね?

あなたが「好きだな」と感じる あなたが「嫌いだわ」と感じる

あなたが心地よい あなたが気分悪い

そういうのを感じて そう解釈してるよね? 

周囲の人を 社会を 自分を

  
そして それに基づいて 自分の行動もまた決まるよね?

 
ならば 行動の前に 解釈の仕方を 変えることも可能なのよ

そこが変われば 行動なんてそれに基づくから 変わるのよ 勝手に

 
過去をつなげて 過去を積み重ねて そこを基準にして

批判して 非難して 罵倒して

過去の自分を 延々 自分にとって悪いほうへ 利用する

 
そういう「解釈の仕方」をすることが辛いなら

その「仕方」そのものを 別にやめていいんだよ?

過去の記憶と 今の自分を 自分でわざわざ 

苦しむために つなげなくても いいんだよ?

 
背景なんて 別になくても 他者には「届け」られるし 

その気になれば つながれるよ?

 
あなたが過去の自分を 今の自分につなげるからこそ

他者と なんとかかんとか もにゃもにゃするの

うまくいかないと許されないとか ダメだとか

心がさみしすぎて狂いそうとか 

それさ もうまるで 「贖罪」だよね

 
「過去のひどさを 帳消しにしたいがゆえの 何らかの 代理のもの」

を 求めようとしてしまうのかもよ?

 
他者と信頼しあって つながるのに 過去は いらない

だって記憶喪失の人だって 苦しい面は持ち続けながら

それでも 幸せになっていいでしょう? 

それとも 完璧な状態じゃないと「ダメ」なの?

 
つながるのは 今 目の前だし 構築していくのも 今から「先」なのだから

あなたが 今 先に 自分を 自分の解釈を 変えていいのよ……?

苦しい思いをしたからこそ その過去を わざわざ自分から選んで

自分につなげなくても いい

 
私が言っていること 難しかったらごめんね

必要な方に 必要な言葉が 届きますように

 

2015_08_17  
Photo credit: Lotus Bud / 蓮(ハス)の蕾(つぼみ)
via photopin (license)

 

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