「信念」の使い方、そのバランス

前からときどき書いているけれど、

あなたが「○○しちゃいけない」と

信じきっているその視点は、

ときどき、思い込みが強すぎるあまりに、

とても偏っているかもしれないよ。

 

たとえよい信念であっても、

「○○でないといけない」って思い込みすぎると、

それこそ自分が苦しくなるよ。

 

過ぎたるは及ばざるがごとし。

行き過ぎている」なら、それ、ゆるめてあげてよいんだよ。

自分が心地よく感じる範囲に、バランスを整えるってことも、ぜひ、知ってください。

 

そんな苦しい人のために、

せっかくのよい信念を思い詰め、ある意味ヒドイほうへ使ってしまっている話を、

今日はここにあえて、転載させてもらうね。

 

出典も載せておくので、良かったらこのサイトのほかの話も、読んでみてください。

他者の身勝手な意見に耐えるのでなく、

自分が大切に感じることについては、

その気持ちのほうを大事にして

言葉を切り返してもよい、ということも

感じてもらえたら、と願います。

(今回は、私としては初の、勝手な全文転載になるので、

その点は心より深くお詫びします。

元の文章を書かれた方までたどれないため、

このような形をとらせていただきます。

今後も、著作権、きちんと意識していきます。お許しください。

もし元の文章を書かれた方がここをご覧になって、

不快に感じられたら、お手数ですがメッセージ等でご連絡ください。

削除いたします)

 

本来ならとてもよい信念が、

間違った思い込みにまで発展していく一例。

 

921 名前:774RR[sage] 投稿日:2009/05/14(木) 16:24:00 ID:1RWK2aJy
ある日、マタギのところへ動物愛護団体の人が名刺を出して
「なんで熊を殺すのですか」と抗議にきたそうな。
マタギの爺さん曰く「生きていく糧と伝統」と説明するも、
愛護団体側は「動物を殺すなんて(以下略)」と聞く耳を持たない。
それから連日抗議に来るので、煩わしく思ったマタギは
知人に頼んで一芝居をうつことにした。
今日も今日とでマタギに難癖を付けにやってきた団体様。
そのタイミングを見計らい、近所の知人がやってきて
「里に熊が出てきた様だ、心配だなー」と一言。

それを聞いて青ざめたのは団体の連中。
どうやらマタギをこらしめに来たはいいが、
熊に襲われることは想定してなかったようだ。
恐怖を感じた団体の連中は、 マタギの爺さんに
「私が熊に会っても・・・安全に帰れますでしょうか?」
と振るえながら尋ねる始末。
そんな情け無い連中に、マタギの爺さんはこう返してやった。
「熊に遭ったら、あんたの名刺を見せればいいじゃないか。
動物愛護団体だとわかれば熊も襲ってこないだろう?

襲われてもそれはそれで、愛すべき動物の糧になれるんだから
名誉なことじゃないか。
それとも、まさかあんたら俺を警護につけて、
『私達の安全のために、熊が襲ってきたら撃ち殺してください』
なんて言うつもりじゃねぇよな?」

出展:neverまとめ
→ 【痛快】スーっとする厳選200以上コピペまとめ【2ちゃんねる】

 

ほかにも、ミカン畑を襲いに来る猪。単一作物を作ることによる弊害。

そうだと分かっていながら、今はまだ、生活のために

猪を駆除していかなければいけない農家の人たち。

他のものも植えれば? と、せっかくミカン用に整えて守ってきた大地の、

作付面積を減らせばいいのだと簡単に言う人たちもいる。

他のものを植えたところで、栄養価が高くおいしいミカンのほうを

猪だって当然、狙うという発想は、思いつかないのかな。

野生動物とのよい住み分け対策がすぐに進められない事態は、

過疎化していく日本のあちこちで、起こっている……。

 

まあ、これはたまたま大きな、社会的な例だけれど、

身近な、小さなところでも、こういう思い込みのズレが

起こっているかもよ、あなたにも。

私も「本当にそうなのかな」ってちゃんと自分に問いかけていく、

そういうふうに気をつけていこうと、改めて思えた話でした。

 

2015_09_06

Photo by condesign
Pixabay

 

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