たとえば「一人でいる人は○○」という決めつけ

今日も記事を書きます。

しかも今日は厳しい書き方、してみます。

「他者との関係」の話から始めてみるね。

 

ある人がいたとして。

その人が誰かに認めてもらっていないと(恋人、家族、親、

上司、部下、友達、等、つまりは自分の身近な範囲の誰か)、

それって、その人が人間的に何か悪いところがあって

「悪人」である、あるいは世間的に言うところの「ダメな人」に違いない。

 

その人のことを何も知らなくても、彼氏がいない、彼女がいない、

結婚していない、等で、こうしたことをなんとなく、決めつけていたとして。

 

その裏に隠れている気持ちって何だろうか、と、きちんと見てみるとね。

 

だから私も、一人でいたら

世間から裏で笑われる(笑われている)に違いない

 

というおびえの気持ちと

 

一人でいるなんて寂しくて無理。

誰かに認めてもらって一緒にいないと

 

っていうおびえの気持ちが隠れていたりする。

 

まず、それらのおびえをね、あなたがふだん、

「世間的に」等の表面的な価値観で覆い隠して、

自分で見ないようにしている、苦しいから。

 

そして、さらに厳しいかもしれないけれど。

一人でいるのが無理、ってことは

=自分のために他人にいてもらうということ

=つまりはその人の存在自体を、自分のために使おうとしている

ってことでもあって。実はそれ、単なる自分勝手、とも言える。

 

あなたって要は、他人を自分の望む形でそばに、いさせたいわけね。

「そばにいてもらうために何でもするから」などと、

まるで奴隷になったつもりで尽くす人もいるだろうけれど、

それ、何をどうしようと、

そこには必ず「だから見返りとして私のそばにいて

という交換条件がくっついている。

 

必ず相手に見返りを求めてるんだから、

つまりそもそもは、それ、自分のためにやってるんだよね。

自分のために、あえて自分を、

他者の犠牲に差し出す。奴隷にもなったりする。

 

こうやって内側に、視点を下ろしていくと、やがて気づけると思う。

なぜそんなところに、自分がはまるのか。

自分を犠牲にして、酷使して、

相手に気に入られたくて常にビクビクして苦しいのに、

実は相手に見返りを要求し続けているだけ……。

なぜそんな事態に陥るかというと

一人でいる私には価値がない

って信じてるからだよ、あなたが。

 

そこが大きく間違っているから、

「私という人間が『誰か』に一緒にいてもらおうとするならば、

私の場合は自分を差し出して見返りを、求めなくちゃいけない」

=そうしないと相手から認めてもらえない

=一人になってしまう、認めてくれる人がいなくなる

=周囲にもダメな人間と見られるに違いない

そのために、いい人でいなくちゃ、いい人でいなくちゃ。

 

うん、苦しいの、当たり前だよ。

いろいろなタイプの人間が100人いたって、

きっと100人とも苦しいと思うわ、その捉え方とやり方選んだら。

それを「幸せ♪」って感じる人、どう考えても思いつけない。

 

もうさ、世間的にこうだ、とかいう常識論まで持ち出して

自分をごまかすの、そろそろやめなよ。

 

あなたが 一人でいる人間は惨めだと思っていて

あなたが 一人でいる人間はダメに違いないと決めつけていて

あなたが 一人でいる人間のことをバカにしてるんだよ?

 

そして何より、それを「持てなくなるかもしれない」

あるいは「持っていない」自分を見下げるのだ。

 

あなたが苦しいのは結局、

そもそも自分を見下げているから

ってところに、たどり着くんだよ。

 

だったら、その「自分を見下げる」価値観を持ったのは、なぜだろう?

その価値観を「植え付けられた」のだとしたら、

何がきっかけだろう? 他者を使ってこそ人間として認められる、なんて。

 

そこを徐々に解きほぐしていかない限り、

あなたは上っ面でずっとぐるぐるしていくよ?

誰かと一緒にいるときはずっと「一人になったらどうしよう」におびえて、

誰かと一緒にいられなくなって、一人になったら

ひたすら寂しくて寂しくて(認めて、または求めてもらえないからね)、

自分がますますイヤになる。

 

そしてこういうのって「他者と関係を持つこと」だけに限らないことも、わかるよね。

お金がなければ、仕事がなければ、結婚して家族がいなければ、

持ち家がなければ、キレイでなければ、たくましくなければ、

若くなければ、頭がよくなければ……さあ、ほかにどんな候補を持っている?

 

おびえから始めたものは、いつまでたっても、おびえしか生まないよ。

必ず形を変えて、あなたの心にはおびえがつきまとい、

誰かを、何かを、自分のために「利用する」という罠にはまり続ける。

 

だから何度でも言う。あなたの内側でしか、

あなたにとっての答えは見つからないから、

いつだってこのことを伝えて、私は待つ。

 

なぜ、そのおびえが始まったのか。

自分の内側の、そのさらに奥にあるものを見ていく勇気を、

あなたがどうか、いつか持ってくださいますように、と。

 

2015_09_16

Photo by PublicDomainPictures
Pixabay

 

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