根本的な「選択肢」の話

今日は短いです

ごめんなさいね

 

あの人が 火の上を歩けと行ったから

あの人が言うなら と

あの人のために 歩いたら

あの人 笑いました しかもバカにしました

私は ヤケドしました

 

ねえ これで どれほどあの人がヒドイか

分かるでしょう?

あの人はヒドイのです

 

うん

なぜあなたは

あの人のためにそもそも

火の上を歩くという選択肢しか

見ないのだろうね

 

その選択肢しか見ない自分が

どれほど自分をひどい目に遭わせるのか

笑われてバカにされてヤケドしてみないと

気づいていけないのかな

 

なぜ 自分で先に

それを選ぶと自分がどうなるか

自分がどう感じるのか

を 捉えてみないのだろうね

 

従うことを 自分で 選んで 

それをやってから あとになって わざわざ

あの人のせい にするのはなぜだろう?

 

と こう書くとまたすぐ 自己卑下に入る人

いるかもしれないけれど

卑下する前に なぜ他の選択肢を自分は見ないようにするか

そっちを 感じてみてね 責めてないからさ 私

 

こんなふうに問いかけられたら

その事実を 責められているとか 私が悪いのね とか

そうした卑下方向に使うという選択肢しか 

自分が見つめていないことにも

そろそろ 気づいてね

 

2015_09_18

Photo by PublicDomainPictures
Pixabay

 

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