面倒くさいことを
「面倒、面倒、面倒」と呪文のように唱えながらやるのと
「この部分は面白いからそこだけでも味わおう」って思いながらやるのとでは
自分の打ち込み具合が変わってくるよね。
私は、鬱を過ぎた以降、自分の「気持ち次第」で、文字通り
すべてが変わる
ということを経験をしたから、
何かをするときには極力、その、やることの面白い部分を
「味わおう」って、意識するようになった。
どんな小さいことでも一つひとつ、
「どうやったら心地よくなれる?」「楽しくなれる?」を
探しながらやるの。時間もあまり、意識しない。
でもって、手を抜くところは抜く。
低血圧になったら、朝、どうしてものんびり過ごしたくなったから、
コーヒーを飲む時間は必ず一定程度、確保する。
ええ、仕事がある日に結構、遅起きしてしまったときでもね(笑)
その代わり、そういうときは化粧で手を抜く「覚悟」をして、
化粧は昼休みの時間を狙うとか、割り切る。
それこそね、洗濯物の干し方まで変わったよ。
楽しめる干し方、と言ったらなんだけれど、
心地よくなる順番、干す位置、並べ方。
どれをどうやって、どの順で干すのが
「今日はいいかな?」みたいな感じ。
そのために一定の時間は確保するようにしよう、とか。
休日も平日も、無駄に焦らない。
眠ければ寝る。起きていたければ起きている。
食べたければ食べる。食べたくなければ食べずに寝る(笑)
休日のお出かけ予定でも、自分一人の場合なら
その日の気分で簡単にキャンセルする。
そういう意味では「気まぐれ」を明確に、自分に対して許した。
こうなってくるともちろん友達との約束でも、
鬱前にはほとんどしたことのなかった「遅刻」をすることはある。
で、そのときは、真剣な気持ちで謝る。
きちんとした意識で真摯に謝るけれど、自分のことは責めない。
そういうときもある、ということを、自分で認める。
楽しむ、ということ、その中身の『基準』を
「刺激」でなく「心地よさ」にした、とも言えるかな。
それを意識し始めたら、生活全般、力まなくなった。
今まで無駄に力んでいたことも「やめてから」気づけた。
これって、私が年を取ったからか?(笑)と最初は思っていたのだが、
いやいや、今までが穏やかじゃ「なさ過ぎた」んだわ、と。
「穏やかさ」なんて自分には想像の範疇外だったのよ、たぶんね。
たとえば仕事も、キリッと、とか、キビキビ、などを意識しすぎて、
なんだか毎朝「戦いに行ってくる」ような感じ。
まあ、私は高評価をバリバリに求めていた生き方だったから、
よけいにそうなっていたんだと思うけど。
今のゆるやかさ、穏やかさって、自分が
「こうやったら楽しいわ♪」
「これは今、集中して片付ける、ということを楽しもうっと」
などと探し始めてから、身についたもの。
で、そういうことを本気で意識し始めたら、
何をやってても、全部そこそこ、楽しめるの。
狙った「遊び」を、ちょいちょいやるような感覚?
仕事では、それによって時間はスルスル流れて、
自分はほぼ、楽しくて穏やか。
なので、かのお姉さんのことを
観察しようなんて意欲も持たずに済む。
別に、彼女がどこでどうやって、それこそ何をしようと、
私は私で、好きなようにやっていればいいんだもの。
いちいち引っかかって「あげる」、
気分を害する方向でつきあって「あげる」、
さらには引きずって相手のことを気にして「あげる」必要なんて、一切ない。
こうしたやり方を、私はやっと自分に「許可」したんだな、と思う。
身体を張って何かを『獲り』に行くような感じでない、やり方。
でね、面白いことにこれ、
「後から」新たな評価も、戻って来始めたのだ。
基本、自分がずっと微笑できる、ニコニコしていられるでしょう?
ゴミ袋ひとつ縛っていても、普通に笑顔が出るからさ。
あら、ぷっくら膨らんだ、カワエエ(*^_^*)
とか思って、そういうのを探してにっこりやってるから。
今の会社で、周りの複数の人から「いつもなんだか笑顔で、
なんかいい感じの雰囲気よね」
「優しくて柔らかい印象」と言われて
「ええええええええっ!?」となりました。
そういうことは一切、意識していなかったのでびっくりした。
だって基本、私はオッサン脳で、はっきりものを言う、勝ち気系。
かの「お姉さん」に対してさえ、吹き出すようなキャラなんだもの。
それこそそんなこと、初めて言われましたさ。
しかもそもそも私ね、見た目も勝ち気そうで、はっきりしている印象を
持ってるのだよ。昔なんぞ、赤色が似合いすぎてて(笑)、
「赤い服を着ていたら、100m先からでも木元だとわかる」と
先輩方に言われていたような感じ。
まあ、原色とか今でも着られるしさ、実際。
柔らかい、とか思ってもらえるようになったのは、明らかに
「自分が楽しめそうな部分を絶対、探すぜ♪」と決めて、
一人で勝手に楽しみ始めたからだと思う。
こういう今の私みたいなやり方って、どう感じる? ダメかな?
眠っている布団の肌触りや色合いまで「心地よさ」を
求めてみたりするの、面白いよ?
ガーゼタオルとか、その日の気分で敷いたり。
お出かけして渋滞にはまったら、こりゃもう仕方ない、
ならばいっそ、車内カラオケしよう! とか。
電車が止まったら「あ、ならばこの本を、じっくり読めってことだな」とか。
道を歩いているとき風が強ければ、
葉裏がはっきり見える街路樹の「いつもと違う姿」を
「おおっ」と思いながら鑑賞するとか。
その気になって探し出したら「おお」「あら」「これはっ!」
が案外たくさん、見つかります。
同じ仕事をしていても、違う部分を味わえる。
ねえ、どうせそれを「やらなければいけない」とか
そこで「時間を過ごさなければいけない」のであれば、
自分が自分に意識させて、その「とき」の何かを、味わってみようよ。
その許可を、自分に出そうよ。
どんなに暗い気持ちのときでも、
そういう許可は、自分に出してあげていいんだよ。
心地よさそうなものをほんのちょっとでも味わう、というほうへ、
自分が切り替える練習を、してみてね。
それこそ、ぼーっとするのも、「悪」ではないからさ。
何かを「悪」だと捉えることを『やっている』のも、常に自分、なのだ。
P.S.
ゆえに今回のブログデザインなぞ、
私の「今までの印象」とは真逆方向です、きっと。
単にそういう気分で、そういうのが楽しかったからこうなっただけで、
身内が見たら「どうした、見春!?」って思うかもしれない(笑)
そのうち、気が向いたら感想を聞いてみよう(≧▽≦)
Photo by nidan
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