自分を大切にするために、なぜ他人を使うのか、の話

今日は「自分のことを嫌っている人」に向け書いていきます。

ある特定の他人を憎みすぎて苦しい人には、少し、当てはまらないかもしれない。

その点はおゆるしください。

 

自分のことを嫌っている人って、たいてい、

他の誰かからすごく「してもらおう」とする。

認めてもらう

優しい言葉だけでなく態度、扱いをもらおうとする

ほめてもらう……等々。

 

自分が、自分のことを全然認めていないくせに

(はい、あえて強調しますよ)、

他人からもらおうとする。

 

なぜなの?

なぜそれを自分で、自分に対してできないの?

何を「自分に優しくしちゃいけない」

って決めつけてるの?

自分がしちゃいけないことなら、

別に他人も、あなたに対しては、しなくていいよね?

 

そんな、ひどい! と感じる人、多いだろうけれど、

そこは本当に、矛盾しているのですよ。

自分ではやらない、でも他人からは絶対、何が何でも、ほしい。

だからもらえる相手がないと、

とたんに「さみしい」「一人でいるなんてイヤ」と言い出す。

 

他人を、そんなことばっかりに使うから、

相手も疲れるんだっていうことに、気づいてもいいんじゃない?

そういう「他人の使い方」をする人は、

同じく「そういうあなたの使い方」をする人にも出会いやすいから、あなたもまた

「相手側に『認めてもらう』ってところで自分をこき使われたとき」の苦しさを、

今までにいっぱい、味わっているはずだよ。

 

やりたくないときにも、一方的に

「私を認めろ! 大事にしろ! しかも私が言う通りに!」

なんて感じのことをやられて、

その要求に応えきれなくて、苦しんできていたりするよね?

 

で、自分は自分を認めない、

でも相手からは何をしてでも絶対、もらおうとする、

その部分が矛盾しているからと

「だったら、もう、もらわないもん!」

というふうにすねる(絶望する)のも、まあ、あなたの自由だけれど。

 

別にさ、あなたが、誰よりもいちばん、

自分で自分に、優しくすればいいじゃない。

自分を差別している、その「気持ち」が

どこからやってくるのか、を探して行けば、いいじゃない。

 

自分を差別して見下げてバカにする気持ちって、

赤ちゃんのときには、持ってないよ、間違いなく。

あなたが「後天的に」選んできたこと。

 

もちろん、世の中にはひどい親や身内や 知人っていうものが

存在するから、そういう人から「強制されて」、

その思考方法を学んできたって人も、たくさんいると思う。

実際、自分では自分を認めない代わりに、子どもからもらおうとする人、

そういう大人(親)の例も、たくさん知ってるよ。残念ながらね。

 

だからといってあなたが、そこに「とどまり続けなければいけない」理由など、

まったくない。これっぽっちも、ない。

 

その場合、強制してきた人は、あらゆる圧力をかけて

あなたをそこに止まらせようとすることでしょうよ。

恩知らず! っていう言葉を簡単に吐くとか、ね。

はい、そこで、宝刀抜きましょう、心屋さんの。

知らんがな。

それはその人自身の問題であって、あなたの問題では、ない。

 

自分が、自分に気を配ってあげる。

自分が、自分を、優しく扱う。

自分を嫌って否定してバカにしている人の場合はね、

それが土台になっていってこそ、本当の意味で

「他人からの優しさを『まともに』受け止められる」人になるよ。

今までみたいに「よかった、この人は私を認めてくれた」なんて、

いちいちそこで安心するような事態に、陥らないで済む。

 

自分で、自分を安心させていいのだ。

何の根拠も、理由も、目標達成も、まったくいらない。

赤ちゃんのときすでにそうやって生まれてきたの。

それが「自然な状態」 であって、

今の、他人を使って安心できないと、

自分では、自分を安心させられないことのほうが、

よっぽど「不自然」なのよ?

 

「そのためには○○できるようにならなければいけない」

などといった理屈を、あなたはいつまでこねて、

その不自然な(刷り込まれた)状態を続けていくの?

 

いつまで他人を使って安心し、

本当の意味での感謝とありがたさを、その相手と共有せずに生きていくの?

 

あなたが、自分を不自然なままにしていることのほうを

選択しているんだってこと。

その選択は、根拠、理由、何かの達成といった

屁理屈は一切必要なしで、

変えていいんだってこと。

 

ええ、屁理屈ですよ、それ。

ごめんね、はっきり言うけど。

「まだ○○できていないから」なんていうのは、

自分を認めたくないがゆえにあなたが使ってきた、

ただの「言い訳」です。

 

そのために「自分が抱えているものに気づいていく」ほうへ

意識を向かわせることが、できるようになっていく日が来ることを、

私は心から願いながら、いつでも、遠くから、見守っています。

 

他人を、そんなふうに使わなくても、

あなたは、だいじょうぶなんだよ。

あなたは、いつからだって、

自分に優しくできる人間になっていいんだよ。

他人を扱うように自分を扱う練習、してみてね。

苦しみ、喜び、自分の声を、ちゃんと聞いて、

自分と「一緒になって」、その一つひとつを親身に感じてあげてね。

 

2015_10_04

Photo by sogard
Pixabay

 

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