認めてほしい、とは

日付を超えて 今夜 2本目

しかもこちらは ある意味 反省を含む自己開示だから

言葉が厳しくなるよ ゆるしてね

 

認めてほしい

側にいてほしい

つまりは私が「よい人」であると 

誰かが保証し続けてほしい

 

これを追求し過ぎて

お互いがそう思うようになった形態を

共依存

と呼ぶのだろうな と

今の私は感じている

 

私も「勉強」や「仕事」の面では

他者からの承認や評価を基準にしていた

それをしていたからこそ

言ってしまおう と思うのだが

 

他人から認めてもらわないとおかしくなる

という場合 ごめんなさいね

その人は

 

他人を使って自分を幸せにすることしか

考えていない

 

とも言えてしまうのだろうと

 

自分の幸せの源 その責任を

他人に「作り出せ!」「とれ!」と

命じているに等しいんだよね……それ

 

自分にしてみれば

尽くしている

頑張っている

だけなんだけれど

 

そういう姿を通して 他者に

ほら! ほら! どうよ! これならどう?

私のこと 認めるでしょう?

あるいは 愛するでしょう?

 

って 押し付けてる面が 必ずあるの……

 

いや本当 ゴメンね こんな書き方で

過去への反省の気持ちを

自分でこめている部分もあるからさ

 

何様? って気がしない? こんなふうに表現したら

私の過去の職場にいた 周りの人は 

私が自分の疲れも省みず

むちゃくちゃなペースで仕事した挙げ句の成果を

見せられる……つまり

ほめ言葉を ある意味 私から強要されて

迷惑だったろうなあ……って 今ならわかるのだ

 

はい 痛い人でした 私もまた

 

自分を幸せにすることは

まず 自分でやってよくて

それができるようになったら

周囲との関係も変わっていくよ

 

認めてもらうかどうかより

私がやってみたいから

やらせてもらってよいかな? に変わり

するとそこに 感謝も自動発生するから

ああ 恵まれてるや……ってことにも 気づきやすくなっていったの

 

そして そんなふうに動けるように 再び なったこと

あるいはまた再び 音楽や絵画や その他いろいろを

楽しい ステキ 面白い って 思えるようになったことや

自然の中に 自分の足で立てること

そういう諸々も ありがたく感じられるのは

自分なりに どん底 見たからだなあ って……

 

過去にも知っていたはずのことを

改めて 新鮮に味わえることに

『お得感』さえ感じられて

そのとき あきらめずに生きてみて よかった って

ちゃんと 本気で 思えたの

 

こうなるともう 鬱になったのが悪かった とも言い切れないんだよね

悪いことがあった 起こった

それは事実だけれど

その結果 再び または新たに 感じられることがあるのなら

その悪いこととはつまり

当時の私にとってマイナスの形をした「きっかけ」でもあったのだと……

 

命が消えた人に 二度と会えないのは もう どうしようもないことで

これだけは 一生 プラスには変えられないけれど

それでも なお 

私はあそこで命を消さなくてよかったな と思えたときには 泣けた

 

ちょいと話がずれたので戻すと そしてね

自分の幸せのために他者を使おうとする人は たいていの場合

幼少の頃に身近な人から

同じやり方を 教わっていて

というか 相手からそれを やられていてさ

 

たとえば私なら 

言うことをきかないと認めてあげないわよ! 

(つまり親の意見が何よりも正しいと思い

それを信じて行動すれば 私のことを「よい」と認めてもらえる)

というふうに

親から言われていると 信じていた

 

実際 親がどの程度 それをやっていたかは

当時 子どもだったから わからないんだよね

 

ただ 少なくとも 

私が 親からそう言われているに違いないと

『自分で信じ込んでいた』ことは事実

私が親の言葉を そう受け止めていたのだ

 

そして 人たるもの とくに私にいたっては

他人から認めてもらってこそ 価値があると

100%信じることにしたのだ 私がね

 

そうやって『親を中心とした他者に 認めてもらえなきゃ私はダメ人間』

という気持ちを 私は自分の基礎に据えた

 

そりゃもうさ

他人は 私の望むようには 私のこと認めてくれないから

(そうプログラムされたロボットでない限り 私の気の済むように

認めてもらうのって無理なんだよね 当たり前の話

その人だって 一人の独立した人間なのだから)

必死に頑張っていくしかなくなるわけで……

 

まあ 勝ち気方面のオッサン脳が幸いして

私は恋愛方面で依存を出さずに済んだが

(男と女じゃないでしょ それ以前に 人間対人間でしょう? なんて思ってた)

 

でもこれさ

「私のことを認めなさい!」を 異性の親から もし やられていたら

その親の身代わりとして 恋人から 完璧に認めてもらおうとすることも

当然 ありうるだろうなあ ということはわかる

 

いずれにしても 幸せを得るのに

他人を使っていく必要ないからね 本当に

自分がまず 自分を幸せにできるからね

そのための とらえ方 先に練習してね

 

実はそれができるようになると

他人との関係も すごく楽で よくなるから

 

自分を幸せにできるようになることが

つまりは自立 なんだな と

私は 40を過ぎてから やっと気づき始めて

(しかもはっきりわかったのは半ば過ぎてから……

時間 かかったなあ……(^0^;))

おかげで今は 心の基本形が

かなり穏やか

 

もし本当に 他者とのよい関係を築きたいなら

自分をまず徹底的に 自分で 幸せにしてあげてください

それは絶対と言って良いほど 

「孤独」とは別種類のものだからさ

 

今の私は 周囲に 温かい愛のある関係性を

性別も年齢も環境も関係なく つなげられるようになってきていて

それはね 本当に 鬱を経験したからあとだからこそ

できるようになった……自分のことを幸せにする許可 自分にはっきり出せた

 

内心ビクビクしてるのに他人にクレクレって「押し付け」してたからさ

そんなヘンな具合に 

他人を自分のために使わなくても済むようになれたこと

心から 感謝している

 

ちなみに 親に対しては

私が勝手にそう受け止めてしまうから

どうしてもそう受け止めるから 

そばでは暮らせない 

って伝えたのさ 今年の1月

親(まあ 母なんだけれどね)は激怒して

いまだに口を聞いてくれません(^0^;)

 

それでもね 一人の人間として 母のこと

私は好きだよ ってことは 今度伝えようと思う

 

そばにいるのは苦しいけれど

この距離から 私も あなたを好きなんだよ ってね

 

伝わるかどうか というか 

その言葉をどう受け止めるかは 母の自由なので

私もまた 自由にそれを言ってみるだけなのだ

そのほうが 私が スッキリしそうだから

その 母を好きだという私の気持ちに 嘘はなくて 

ただ 私にとっては苦手な一面があると

私が感じるから

やっぱりそう受け止めてゴメンね でも愛してるよ間違いなく

と 言えるだろうと 思えている今日この頃なのである

 

こういう経験をした私の結論

他者に求めすぎず つまり他者と比較方面で戦わず

自分をゆるして 認めてあげて 

基本ゆったり ときに楽しませてあげられると 

本当 楽にいられるよ

自分と争うこと やめていいよ 本気でさ

 

2015_10_27

Photo by apefrance
Pixabay

 

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