前にさ、私、某SNSで、質問したことがあるの。
今の技術力しかない自分なんかが、整体や鍼灸師、
やってていいのかな、と思った、という知人にさ。
それは、向上心としてはとても美しいものではあったけれど、
私はこう尋ねたの。
「世の中の人が完璧さだけを求めるのは困る。
たとえば整体師さんなら、その方が自分で『完璧』と
思える日が来るのを待っている間、
私は、この肩や腰の痛みを耐えなくちゃいけないのかな?」って。
でね、これ、どんなことにも言えると思うの。
どんなレベル、どんな種類の人であっても、
その人が役立ってくれること、関わってくれることを
待っている「場」って、必ずある、って思える。
そして本当はね、どんなレベルであっても、
自分のことを楽しめるようになったら、
なんだかいろいろな「完璧さ」的なものを、
自分が感じられるようになると。
反対に悲壮な、不安から来る気持ちで
何かを完璧にしようとし始めると、
ダイエットに限らず反動が来るよ。リバウンドして失敗するの。
そもそも根っこに不安があると、それを埋めるために
外側の何かを「溜め込む」、「鎧を着せる」、
それで自分を埋めて無意識にでも守ろうとするからさ、人間って。
わかりやすい例で言えば、
そういうときにアルコールを使う人もいるし、
買い物という行動を使う人もいるし、
まさに身体の脂肪を使う人もいる。
地位や名誉という立場に必死になる人もいる。
すべて、ある種の、貯蓄(ダイエットも、美の貯蓄だ)。
ひたすら、貯蓄。
不安ゆえに始めているからね。
ゆえに、一時的には成功しても、
その対象に、自分が「不安を元にした関心」を向けている間は
「リバウンド」的な失敗を繰り返すことになる。
本当は、怖くて貯めたいだけだもの、不安なだけだもの。
しかもそのとき、うまくいかない自分に、
なぜなのよ! と怒れば怒るほど、
自分をバカにすればするほど、
成功、達成するまでの時間も、長引いていく。
この人生って一度なのに、どこまで長引かせれば、気づくのかな。
「今、現在、できてない自分」を否定すればするほど、
それがうまくいくようになるまでの時間がかかることに、
いつになったら、気づけるかな。
実際はね、それらもまた、ひとつの学び、
いずれにせよ単なる途中経過であることは知っているから、
私はね、もはや否定しないのだけれど。
あなた本人が、なんだか、
とてもとても、どうしようもない感じで
「なぜなのよ!!」って、やってるからさ。
自分や他者への「怒り」(失望は怒りの派生形だ)に
かなりはまっているようだから、今日は書いてみたくなっただけ。
最初は「できていないまま」の状態から、
やっていくしかないよ、当然のことながら。
「できていない自分」から始めなくても、いきなり、
何かがものすごくできるはずなのに、とか思ってる?
それこそ、そんなに自分の優秀さ、誇りたい、とか?
実際には何もしていないうちから、
夢想の中だけで「自分の優秀さ」というものを高めてしまってて、
その理想の夢を、崩したくない、とか?
それこそ苦しいままだよね、現実では。
で、さ、その練習、ろくに続けないうちに、
かんしゃくを起こして、失望して、さらにはときに、
協力してくれない相手を恨んでみたり。
時間、よけいにかかるね……。
完璧さ、なんていうものは、
この世に「わかる形」では存在しない。
それよりも自分が深く「良かった」と、
『自分のため』に思えるようになれば、
そこからやっと、他者(周囲の環境や状況を含め)との
関わりのなかでも、
「完璧に近いと言えるんじゃない?」って、
感謝できる、他者や自然の情景などとともに
ハーモニーを奏でられる瞬間も生まれるのだと、私には思える。
だからさ。
自分を「好きになれないのはなぜなのか」を
ひも解くほうが、本当は先なんだよ、って言ってる。
くどいようだけれど、なぜ自分が、
自分のことをそこまでバカにしたり、
しょせんはこの程度、と見下げていたり、
否定しているのか。
その根っこをつかんでいくほうが、
本当はよっほど、近道できるんだよ。
不安から、完璧さという夢想にはまるのでなく、
感謝のなかで完璧なハーモニーを味わうほうが、
自分にとっても、周囲にとっても、いいんじゃないかな……?
Photo by marioschulz
Pixabay