自身のことを……

もう一つ、抽象論にて、表明させてください。

 

どこまで率直に、

そうであろう 

と、心掛けるか。

 

何かを認めてもらうために、ではなく。

自分が、自分を、落ち着かせ、

肚をくくる覚悟を『続ける』ために、

自身で心掛ける。

 

ただ、それだけのために

「私はこうである」ことにする、と

決意表明する。

 

こうなろう、でもない。

そんな夢を語る時期が必要なときも

確かにあったけれど、

もう、そうすることに決める! と

思えたときには

「私は、こうである」という表現で

世界に向かって宣言するしかなくなるのだ。

 

それは、切羽詰まってのことでもない。

他者から何を思われようと

貫き通す覚悟を決めれば、

自然にそういう決意の形になるのだと、

今朝、気づいた。

 

焦るつもりもないし、

奢り高ぶるつもりもない。

これから何が起ころうと、

「私はこうである」という姿勢を、

貫きたいのだ、私が、何よりも。

 

具体的にどうするか、ではなく、

自分がどうあるか、から、

次のステップが見つかり始める。

このことを、私はここ数年間で

たくさん見せてもらい、教えてもらえたのだ。

 

だから今度は、私が、やってみる番である。

 

そんな気持ちから、早朝に書いた

「私は大樹」の意思表明が生まれた。

 

私は、柳には、なれないのです。

ボッキリと折れたことで、それには気づいた。

でも、もうあの折れ方をしないでも済む、

自分にも出会えた。

 

自分に、嘘をつきたくない。

そして、もう私は、二度と自死も「選べ」ない。

 

自死をあきらめてから、結局は

この2つを、自分自身に叩き込む練習をしてきて、

その結果、生まれた「在り方」なのだ。

 

自分自身に嘘をつかなければ、

折れようはないんだな、という納得感を

得られたことは、とても大きかった。

 

そしてまた、このようなブログを始めて、

そこで得たもの、経験した物事、

他の方の記事等から、出会いから、

得られたもの。

 

もろもろを通じ、導かれて、

これでいいのだ、と思えるようになったことが

本当にありがたい。

 

ゆえに、もう一度、書く。

私は、春の初めを纏う大樹である。

その道を、最後まで歩いて行く。

 

2016_04_14_2

Photo by AllAnd
Pixabay

 

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