自分を裁くことで気持ちを保てている、と
信じておられる方へ。
そういう『時期』も必要な場合があることは、
もちろん、私も知っています。
それでも、あえて今日は、強めに書きます。お許しください。
自己を裁いているがゆえに
「他者からの承認を求める」部分についての話です。
自分を裁いている限り、
あなたは他者の力に頼りたくなります。
他者に求めて、認めてもらわないと
この不安は消えない、と思えているはずです。
ここからは、一見、
恋愛の話に思えるかもしれませんが、
ありとあらゆる『深い人間関係』に当てはまることとして、
読んでもらえれば幸いです。
正直に言います。
そうやって、他者に、あなたの不安を
消してもらおうとする限り、
その不安は一生、消えることがありません。
なぜなら、他者の人生や他者の力は
その人自身のものであって、
すべてをあなたのために使うなんてことは
不可能だからです。
そこまで望んでいない?
でも、大切にしたい相手からは、
誰よりもいちばん、認めてもらえないと、
つらいでしょう?
その頼りたい気持ちが依存にまで強まっている場合、
あなたはそれこそ
『私のすべてをかけて、
あなたのために尽くすから、私にも
私が安心できるだけのものを頂戴!』
と言いたいでしょう。
そして相手に対しては
私はそのようにできるのに、
なぜ相手は私に、いつもそうしてくれないのだろう?
と、疑問に感じていることでしょう。
でも無理なのです。
だってね、それ、本当の本当には、
お互い、うれしくないから、です。
「あなたに尽くすため」という名目の元、
相手はあなたから見張られるから。
相手もまた「自分を見捨てている人」だった場合は当然、
あなたも相手から見張られるでしょう。
ここでの『見張る』という意味、わかりますか?
他の人より、あなたを優先してほしいでしょう?
いちばん頼りにしてくれなければ、
不安で不安で仕方ないでしょう?
相手が他の人と少しでも、
「あなたと話すときより楽しそうに」話していたら
(相手が誰かと明るく笑顔で会話していたら、たいてい、
あなたからはそう見えるはずです)、
他の人に、あなたの知らない何かを、相談していたら?
もうとたんに、不安と疑いがいっぱいになるはず。
そしてそのときたとえ、失うおびえからいったんは我慢しても、
繰り返されれば不満がたまってケンカです。
相手の周囲に現れる人間関係は
全部、どこかに悪い点を見つけて非難しないと、
さらにはできるだけ排除しないと、気が済まない。
私をいちばんにしてくれなくなったら、と思うだけで怖いから。
これ、キツイの、わかりますか?
なぜ、うまくいかないか、わかりますか?
結局、あなたも相手も、お互いの言動を
「自分にとってよいかどうか」常に採点せざるを得ないからです。
そうやって自分を満たしてもらうことしか、
頭にないのですよ。
相手に尽くすのは、
あくまでも、自分に返してもらうため。
あなたも相手も、それぞれを思いやるルートを一応、
使っているだけで、やってることは取引です。
「対価としての見返り」欲しさに、やっているの。
結局いつも、あなたが望んでいるのは
単なる自己中な『ちゃんと私が望むように返してよ!』の部分なのです。
お互いがお互いに、そうやって、
相手を自分のために利用しあうだけ。
あなたの本当の喜びや気持ちなどお構いなしで、
相手の思惑だけで『利用』されて、
あなたは本当に、本気で、心の底からうれしいのですか?
うれしいということに、しているだけでしょう?
いつも山ほど、我慢するか、
言っても言っても、満たされないかのどちらかではないですか?
別にそんなことしなくても、
お互い、友情や愛情などの思いを渡したいときに渡せて、
受け取りたいときに受け取って、
それでいて信頼関係がしっかり保てている、
たとえケンカしようとも、
それは必ず相手を信頼できているからという関係を
他者との間で育めるのです。
こいつがいてくれる、
この人がいてくれる、
そんなありがたい喜びを、
お互いでたくさん、無理なく自然に、
分かち合うことができるのです。
そちらのほうが、よほど豊かでうれしくないですか?
もし、これを望むのだとしたら。
あなたがとても冷静に、一切のジャッジなしで、
なぜ私は、私を見捨てているのだろう?
の部分を、見つめるしかないです。
どうやったら相手とうまくいくようになるか、
どんな人となら、云々、ではないのです。
自分を見捨てて他者に求める限り、それ、誰とどうやっても、
心地よい形で「うまく」はいかない。
ごめんなさい、表現が厳しくて。でも事実です。
先に書いたような信頼の関係性は、自分を嫌ったまま、
相手に頼って認めてもらおうとする限り、現れない。
耐えることを、あなたは「うまくいく」と呼びたいのですか?
ごまかすこと、自分の気持ちに嘘をつき、
相手の気持ちをなだめるために嘘をつくことを、
本気で本心から喜び、それを
「うまくいっている」と呼びたいのですか?
いずれは、相手が切れるかあなたが切れるか、
あるいは相手かあなたが壊れるでしょう、
お互いに振り回されあって。
それがよければ、そのほうがよければ、
どうぞそちらを選んで、
一生を不満の中で過ごしてください。
自己のことは裁き、嫌ったままで、
他者へは不安と疑いと怒り、理解してもらえない悲しみだらけ、
そんな中で、ずっと生きていってください。
それも確かに、人生の、ひとつの選択でしょう。
でもあなたが、信頼と愛の中で
他者とお互いに微笑み合える、
自由と尊重と喜びを土台とした世界へ移りたいなら。
あなたがやれることはただひとつ。
なぜ私は、この、自分を否定するしかない価値観を
当たり前のこととして
こんなにも信じているのだろう?
これを、自分を裁くことなく見つめ、
そう思い込んだ理由の奥を
解きほぐす練習をすることです。
どんなやり方でほぐし方を練習していくかは人それぞれでしょうが、
あなたがあなたを裁き、拒否し、
さげすむ『原因』となってきた価値観を見つめ、
それを解除する必要がある点では同じです。
やり始めるまではとても怖いでしょうけれど、
やり始めると、わかります。
怖い、という種類のものでは、ないことが。
解放、と呼ばれ、脱皮、とも例えられる経験になります。
そうした、自分の深い部分を見つめたあとに残るのは、
カスカスの腐ったあなたではなく、
新しい世界を知った、希望を見つけたあなたです。
私だけができない、ほどけない、なんてことは
自己を見つめるうえで、起こり得ません。
そう、起こり得ない、とまで表現できるのです。
あなたが
「自分で」それをやるのだ
ということさえ、忘れなければ。
自身でやるからこそ、文字通り、世界が、変わります。
どうか、いつか。
その勇気を出していける日が、
あなたに、訪れますように。
Photo by Michael Kahl
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