しばらく書いてなくてすみません。
本日もブログ紹介つきでございます。
この記事では親、という例を
出しておられますが
要するに『自分がもらえなかった』ことに
フォーカスしていたら、
そりゃキツイよね、という話なのですよ。
不足を人のせいにしたら
逃げっぱなし。
不足を自分のせいにしていても
苦しみっぱなし。
でさ、それ、『何を使って埋めたら』
満足できると思っているの?
この埋めるもの、のバリエーションが
お金、恋人、結婚相手、
美容、体重、あるいは病気、
食べ物、着るもの、住むところ、
持ち物、ギャンブル、酒、クスリ、
地位やら名誉、賞賛、承認になるわけで。
『ま、どうせこんな私なんて』に端を発するところの、
あらゆるバリエーションへの放浪が始まる。
だから、そこじゃないのよ。
その『不足にフォーカスしていること』が
いちばんのポイントで、
それがあなたの苦しみを生む。
なぜ自分が常に不足感にフォーカスしているのか、を
ときほぐさないと、
あなたのバリエーション対象が
単に移り変わるか増える一方なんだよ。
ねえ、どうしてそこは無視するの?
なぜなのか、ほどいてみる勇気、
出すつもりは一生ないのかな?
ずっと『不足埋めジプシー』として、
バリエーション対象の間を次々、
放浪する旅を続けたいのかな?
別にさ、それだけじゃないんだよ。
他にも『自分を味わう楽しむ旅』など、
いろいろな『まったく別の旅』があるのに、
そういうことはなぜ、知ろうともしない、したくないのかな?
◎ぴこさん
私は親の愛を知らないから 私は自分の子供を愛せない
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