昨日の夜、書いた話に、続くことになるのかな。
誰も私を相手にしてくれない
という表現を使う人は、往々にして
誰も私を依存させてくれない
(それが誰も私を選んでくれないだの、私を見捨てるだの、という感覚になる)
=誰も私を無条件に「ヨシヨシ」してくれない
と言ってるなあ、と感じられる。
それって本当は、
自分で自分を無条件でヨシヨシしていい、ってことを知っていく旅、
なわけだけれど、今はまだ、他者との関係に話を絞るね。
まあ、とはいえ、親との関係性でこれを説明するとなると
とくに私のブログを読んでおられる方の場合、
心の内でものすごい抵抗感に出くわされるであろうことは
想像に難くないので……。
個別対応ができないここでは、今回、
「恋愛」や「友情」の関係性の面で、書いてみるよ。
あのね、それが「できない」ということは
そもそもやらなくていいんだよ、と
今、まさに、教えてもらえているのですよ。
まあ、今は届かないかも知れないけれど、
我慢して読んでみてね。
で、無条件に「ヨシヨシ」なんて望んでないって?
たとえば代わりに一生懸命、尽くすもん! って?
でもそれ「代わりに」だよね。
つまりは交換条件、だよね。
そこからしてすでに設定、ずれてるよね。
さらに言えば
誰も私を選んでくれない、とか言うわりには
あなたが「ヨシヨシしてくれると思える相手」を
もう、いちばん最初の段階で
メチャクチャ選んで限定している
ようにしか思えないのだけれど。
自分がめっちゃくちゃ視野を限定して、
自分が依存したい相手を選ぶ
この人しか目に入らない! とか言い張る( ̄□ ̄;)
→お互いの依存による交換条件がうまく成立しなければ、
当然、その関係は壊れる
→そこで一転、今度は「選ばれなかった」という被害者モードに陥る
→選ばれなかったのは、私という人間が「汚い」せいだわとか言って
相手だけでなく、さらに自分を責める
→この苦しみから、自分では抜け出せないから、と、次に
依存できそうな相手をまためちゃくちゃ限定して選ぶ
→依存のための交換条件が合わなければ……
ねえ……こうやって書いたら、このサイクルの設定自体が
全体的に何かおかしいことが、わかるかな?
たとえば、
あなたはいつも耐えていつも我慢して、
いつも自分が悪くて
いつも相手に見捨てられ(?)たあとに
「相手の記憶が自分を苦しめるの!」って言って
相手を恨んだあげくに自分と相手を罵倒するの。
そりゃ、幸せ、なんて気持ち、無理だわ。そこでは感じられないわ。
そもそもの設定で、あなたがその視野とそのやり方を、
選んでいるのだもの。
たとえ百歩譲ったとしても、
交換条件が合わない
=自分に合わない
ってことでしょう?
じゃあ、別れてよかったのよ。
その相手って、自分も他人も大事にしないもの。
他者を傷つけても言い逃れなどをしようとする
つまりいい加減な相手が、自分から離れていきました
=私が悪い、私が劣っている、私がケガレテいるからそうなった?
あなたという人間に対して、ダークな相手のほうが
耐えられなくて逃げ出した、という発想は、なぜそこで浮かばない?
ダークな人間にだって、逃げる権利くらいはあるよ、そりゃね。
ダークな人間にさえ、相手にしてもらえなかった私? 何それ?
ダークな人間に苦しめられ、振り回され続けたかったの?
そこまでしても、依存が大切なの?
なぜわざわざ、合わなかった相手との別れを
恨みと自己罵倒にばかり、置き換えるの?
愛と「人間の出来・不出来」はまったく別もので
そもそも「依存」なんて関係を設定する必要がない、
まったく別の視野があることはなぜ知っていかないの?
なぜそれは練習しようと思わないの?
なぜ依存のほうがラクだと、自分に合うのだ、
そのやり方しか私は目に入らないんだと、
勝手に自分を限定して勝手に信じているの?
信じるに足る理由? そこには何があるの?
過去の、偏った視点によって解釈された
ゆがんだ現実認識の記憶?
それが確固たる証拠になるの? 本当に?
おっと、キツイ言葉を強調してるね、昨日から。ごめんなさいね。
でもすでに、現にあなたは幸せじゃないし、苦しんでいるのに、
なぜそのやり方が「当たり前」だとか「それしかない」と信じているの?
そこを、解きほぐしてみたら? って言ってるんだけれど、
なぜそっちはやってみようとしないのかな……。
本当に不思議。
まあ、それが学びとして必要な時期って人もいるかもしれないけれど、
実際には、それがゆがんでいるなって気づいたのであればもう、
そんな学び、いつだって自分からやめていいのよ。
やめるためにわざわざ、さらに苦しい自死なんて方法を使わなくても、
あなたが本気でやめると決意して、どんなに怖くても
違う視点を探す! と決めるだけでいいんだけれど?
だめ?
自分の代わりに、誰かに自分を愛してもらう方法を使わなくても
「私も相手も違っていて自由で対等で大切」っていう関係を選ぶ、
そのために「自分を“知って”いく」作業、始めてもいいのにな……
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