追伸:感じ方、見つめ方

思い浮かんで、書いておきます。

 

私は、何を狙っている?

それだけをただ、感じてください。

 

そこに理屈や意見、くっつけないでくださいね。

もちろん批判も採点も、必要ありません。

 

相手、周囲、社会。あなたの世界と闘うのを素直にやめてください。

自分と闘うことも、やめてください。

その張り詰めを先に解いてから、自分に問うてみてください。

 

今はまだ、意味がわからないと思うかもしれないけれど、

誰か何かと闘うこと、状況を何とかしようと思うこと、

それ自体が

『今のあなたには』めっちゃくちゃ邪魔です。

 

今はそれ、ものすごくどうでもいいことなんです。

そんなところにあなたが、自分を置く必要が、

そもそも ないの

ですよ……。

 

これって本当、今は意味不明な人も

いるとは思うけれど、

頭は、つまり思考や理論や理屈や常識は働かさないで、

「ただ知る」ことだけに、専念してみてください。

 

どうか、

「知らなかった(見ない振りしてた)ことを知る」

その勇気を、先にしっかり休んでから!

ただ自分のために、出してみてくださいね。

 

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photo by Hans
Pixabay

 

わかってくれない、は「チャンス」です

今日は、さらに端的に、昨日の話の続き、その一部の詳細。

 

私の「○○な気持ち」を、

あの人は(または周りは)、わかってくれない!

 

と感じるときは、とても大きなチャンスです。

 

他者への思いでなく、自分の内側に、目を向けてください。

そして自分に、問いかけてみてください。

「他者にこれをわかってもらうことで、私は何を得ようと狙っているのか?」

 

この質問から、どうか逃げないで、

ちゃんと見つめて、自分で感じてみてください。

 

あなたが、自分自身のことを、わかっていけるチャンス、

自分の感覚を、ものの見方を

「理解してあげられる」機会なのです。

 

そしてそのとき。

即刻「良い悪い」を決めつけないでください。

良かろうと悪かろうと、

そう思う自分がいるんだな

ということのほうを、

批判も弁護もせず、味わってあげてください。

 

しかもそのとき、

身体がゆるむか、逆に硬くなる、冷えるように感じるか、

まで、見つめてください。

あなたの身体は、あなたの心に、

正直な反応をしてくれます。

そうしたら、その「思い」が快か不快か、

今後も続けていくかどうかまで、自然にわかるようになっていきます。

 

自分を感じる練習は、他者の存在をきっかけにするほうが、

やりやすいのです。

それこそ、街やネットで、

見知らぬ人同士のやり取りを見る、聞くことも含めてね。

 

わかってくれない、という思いを感じたときは、

「自分が何を狙って、求めているか」に

気づいていってください。

 

さらに欲を言えば、

「自分がそれを狙っているのは、なぜなのか」

まで、見つめていってほしい。

そんなふうに、今まで自分が見たことのないほうを

見つめるのは、パンドラの箱を開けるようで

怖いと感じるでしょうけれど、勇気を出して

何を求めているか、それはなぜなのか、

自分の身体の反応はどうか、を、

どんどん繰り返し、掘り下げていければ。

 

それこそ、最後に残るのは「希望」です。

冗談抜きで「希望」なのです。

やってみたことがある人なら、この意味、わかると思う。

 

そのためには自分の内側を、批判せずに知る練習が必要です。

最初は、掘り下げるポイントもよくわからなかったりするので、

そのときはプロの人の力を借りてください。

自分を『自分で』掘り下げる、その覚悟を持てば、

安直に答えを与えようとするプロ(と名乗る人)かどうかも、

事前に見抜けます。

答えを、自分が見つけるための「サポート」をしてくれそうな人。

答えを教えてくれそうな人、ではなくてね。

そういう意図でネットなどを使って、自分が抵抗感を持たないで済む、

解きほぐしのプロの人を探して、力を借りてください。

その人のブログをいろいろ読むことから始めてもいいと思えます。

 

自分が、自分のことに、

少しずつ気づいていけますように。

 

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Photo by フォットン

 

誰かに答えをもらうのが『正しい』ではない

他者の存在。

それは、わかり合えるようになるためにある。

お互いを知って、折り合える、

思いはからいを発揮できてうれしくなれる、

違い、を教えてくれる、

そのために、いてくれる存在。

 

そして、そんなふうに

合う人を見つけられらるためには、何よりもまず、

自分がどんな人間であるかを『私が』知らなくちゃね。

 

あなたは、

何が好き? 何が嫌い?

何が心地よい? 何が面白い?

何が楽しい? 何がうれしい?

何を見たら、聞いたら、食べたら、触れたら、嗅いだら、

どんな言葉を発したら、自分がうれしい?

 

そこを知らずして、他人に好かれようとだけすると、

自分に嘘を重ねていくことになるから、苦しくなる。

 

しかも、その五感と(空気感も入れたら六感だね)、

心で感じることまで、自分に対して極力、使わないようにして。

他人の言葉と気持ちばかりを指針にして。

それを続けて、みずから、自分の感覚を無視するようになる。

 

黒が嫌いな人がいていい。

黄色が嫌いな人がいていい。

 

なのに今のあなたは、

誰かに何か言われたら、

それが『正しい』とかいうふうに、

良い悪いだけで捉える。

 

まるで世界には、善悪二つの判断方法しかないかのように、

相手の意見、鵜呑みにして、

私が正しくないんだ、ってことにする。

 

はい、それをある意味、

犠牲

とも呼びます。

 

なんのために、あなたの感覚は存在しているのだろうね。

特定の誰かに気に入られるために存在してると思ってる?

いいえ、あなたが、

『あなたの』好きなものを楽しめるように、

好きかどうかを感じられる、立派な「センサー」として、

心も、身体の五感も、六感も、備わってるの。

 

自分が、それらを自分のために使わず、

「相手からの反応を読む」ためだけにひたすら使い、

自分自身をどれだけぞんざいに扱ってきたか。

たぶん、そろそろ、あなたは気づいていると思う。

 

だったらまず、正しい、正しくない、なんていう、ある意味、馬鹿げたことと、

『他者の口から言われることを鵜呑みにする習慣』そのものをやめてみて。

 

素直に、自分に「合う」人を見つけるために、

自分が何を好むのか、

そっちの感度のほうを上げていく「練習」、してください。

 

良い悪い以前に、それより先に、

自分が心地よいかどうか、を捉える練習。

 

ここを訪れる人は、傷ついた方が多いと思う。

つまりすでに、あなたは他人をいじめたり、傷つけることを

楽しい、とは感じないですむ人だから、

相手が「傷ついた!」とか言ったら、

それは相手の抱えている問題ゆえのことも多々ある。

つまりそれは、あなたの問題ではないのだから、

身代わりにならなくていい。

代わりにあなたの身を差し出して解決(従属)したら、

相手が『他者と自分の違い』を学ぶ機会まで、

自分の勝手なお節介で、奪うことになるよ。

 

そっちのほうが、よほど意地悪だわ。

 

相手の感じること、そこからの相手の「学び」まで、

自分が怖いあまりに、強引に言い負かして言い分を打ち消してみたり、

身を差し出して、勝手に先取りして奪ってしまうのが、共依存。

 

怖いから、っていうことを理由に、奪う、打ち消す、

それぞれが自分のエゴだけを、お互い押し付けあって、

それを「愛の証」などととウソブくのが、共依存。

 

たぶんね、多少の違いはあっても、

あなたが今までやってきたのは、それだよ。

ゴメンね、表現、キツくてさ。

 

ということで。

最後に、覚悟を決める勇気、の話を書いてくれている、

この記事を、贈ります。

 

たぶん今は、自分の感覚を忘れすぎているから、

とりあえず先に、寝て食べて、身体を温めて、

自分を感じるための「余白」から

まず取り戻してください。

思考だけ使ってるよ。

感覚、感度、使い忘れてきたんだよ。

 

希死念慮も、拒食も過食もリスカも、

自分の「存在」をなんとか感じようとしてやってる部分あるよね。

意味、わかるよね?

そこまで過激でないと、

感じられなくなってるってことだよ、自分を。

 

まずはもっと五感と、心を、取り戻してください。

 

◎さとこ さん
存在意義や自分の価値
http://amba.to/1pU9AWr

 

 

2016_03_20

Photo by Dyaa Eldin
Unsplash