自分で延々、自分を罵倒しながら

ねえ 自己に対する、罵倒罵倒罵倒。

それを基本にしながらさ。

 

うまくいかないんです

苦しいんです

 

挙げ句の果てには

だから私なんて 価値がありません

最悪の場合 生きてる価値がありません

 

って、何?

 

うん そりゃ苦しいわ。

百人の人がいたとしても、それを真面目にやったら

もれなく百人が百人とも、めちゃくちゃ苦しいわ。

 

自己の『土台』が、苦しみを生む形のみに

設定されているもの、それ。

 

キッツい言い方、してみようか。

他人からどう思われるか、だけが生き甲斐の、

自意識過剰の、

他者から認めてもらわないと気が済まない、

自分を自分で大切に扱えない、

自暴自棄の子ども。

 

たとえ他者から褒められまくっても、

結局はその他者を信じ切れないくせに、

相手がヒドいことをしたときなら速攻で!

ほらね やっぱりね と言い放つ子ども。

 

それで? 人と腹割って話せて

本気で友情や愛情、育めるはず、ないじゃない。

 

自分が

自分に

嘘をつきまくって、

自分のイヤなところしか、信じてないのに。

他人からのイヤな言葉しか、素直に受け止められないのに。

そのまま、深い人間関係、作れるとでも?

 

ということは、他人のこと、愛情だけしか持ってない

お父さんかお母さんみたいな存在にしたいの?

 

つまり、私とつき合うなら

その他者には自由意志さえ持ってほしくない、

それはいつでも傷つけ合いや

裏切りになりえるから、って言ってるんだよ?

 

意味、わかるかな?

自分で自分を見捨てておきながら

他人には愛情(広い意味でね、評価も友情も)を

もらえないとダメ。

そうじゃないと

私は生きてる価値がないんです、って

言ってるんだよ?

 

それ、ほとんど脅迫じゃない。

私を傷つけるな! って叫んでるんじゃない。

 

自分がいちばん、自分を叩き壊し続けてるのに

他人には

私を叩かないで、私から私を守って!

 

って叫んでるんだよ?

 

おかしくないかな? 設定そのものが。

自分が自分を叩き壊してきたからこそ、苦しいのに

何を他人に求めて、何を他人のせいにしてるの?

 

あなたを

この世で

いちばんひどく叩いているのは

あなた自身だよ?

 

なぜ、そうなっているか、の部分を知って

自分が自分を叩き壊すのをやめよう、という方向へ、

なぜ自分の気持ちを向けないの?

 

あくまでも!

共依存できる

私の言うことを聞いてくれるイイコちゃんに出会うまで待って

相手に全部、その責務を、負わせるの?

 

で、ここまで読んで

また自分を責める人、きっといるんだろうけれど、

その自己破壊のサイクルを止められるのは、

あなた自身しかいない! ということに

どうかどうかどうか、気づいてね。

 

あなたが、自分で、

自分を叩くための

『正当と思い込んでいる』理由の部分に、

自ら、切り込んでみるしかないのだ、ということに、

どうかいつか、気づいて、

どうかいつか、勇気を出して、

それをやってみてね。

 

それをやってあげらるのは、

自分の奥を知って、苦しみの元に気づいてあげられるのは、

あなた自身しか、いないのだから。

 

本当に、他者との関係を深めたいのなら

自分が自分との関係を回復させるほうが先で、

しかもそれ、必須なんだよ。

 

共依存は、決して解決策でも脱出路でもないよ。

共依存は、相手のせいにし合う、逃げ合う、

新たな苦しい道、なだけだから。

 

 

今日ももう一つ、選ぶのは自分、ということ。

再び、命に関する話を。

 

ここにも、耐えがたきを耐え、という状態を

学んでおられる方がいたのだな、と。

光市の事件のときと、同じことを感じました。

 

『目には目を』を選んでいくかどうかは自分の選択であり、

そのほうがよほど、自分の人生に陰りを落とすのだ、と気づいていく、

それは確かに、ある種の強さ、なのかもしれない。

 

光市のあのお父さんが最後に死刑の是非について、

『私には判断がつかない』とおっしゃっていた姿が

この記事から思い起こされたのです。

 

でもね、悲しいことに、恨みは、恨みや憎しみしか、生まない。

もちろん、それを知ってもなお、

実践するのは苦しいことだけれど、

飲み込まれる弱さを、自分が選ばない、と決めることはできるのだ。

 

お子さんのためにそこから脱却されようと

このような宣言をされたこのお父さんにも、

確かに、苦しい中の光、を感じるのです。

 

相手のためではない、自分のための選択。

それが、光を、感じさせるのだと。

 

そして、自分が同じ立場に立ったとき、私は何を選ぶだろう?

この強さを、持てるだろうか?

そんなことを、考えさせられます。

 

以下はまた、先ほど投稿した、自分のTwitterの転載です。

圧縮リンク先のYahoo!ニュース、読んでみてください。

あなたなら、何を、選びますか?

 

「一生憎しみに支配されて生きることのほうがよほど難しい」
 ときに感情的になることはあっても、
それに自身が飲み込まれない生き方……。 
応援と感謝のシェアです。 
『妻失い…なぜ「テロリスト憎まない」のか?』(日本テレビ系) 
https://ow.ly/iuOI301YsiJ

 

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Photo by Pexels
Pixabay

 

違う方向、向きたいわ

思想統制にもつながり、

それはすなわち命にもつながる話だから、

ごめんなさい、メインのほうでご紹介してみます。

 

これが良くて必要で素晴らしいのだ、と思う方々が

今も現政権を支えておられる(気になる方は提言メンバー調べてくださいね)、

その事実を知ってみてください。

 

私は、これとは違う社会を未来に残したい。

以下、Twitterに書いた文章転載。

 

飼い慣らしてショック療法も使って
排除もする、ガマンを覚えさせる。

平成12年の官邸資料です。

うん、違う方向へ進みたいわ。

個人には人権いらないと主張する人たちからの、
自分達はあくまで「指導する側」だから
こういうの実施するのだ! という上から目線。

『子どもへの方策』
http://ow.ly/Q89J301Xk7W 

 

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ID: 201405020200
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